ある夏の日

 春先はどうも夢見がち。あたたかな芽吹きの季節に誘われて、私も足が地に着かない。
 先週、いつも学校への行き返りに通る道のそこかしらに小さな花が咲いていること気づいてから、私は春をひとつひとつ噛み締めている。あ、今、風が吹いた、春風だ。ああ、この辺りは香しい、花の季節、春。ぽかぽかとする明るい窓の下で横になって、時折お母さんもいらして、たわいもないことを話す。おだやかでこれっぽっちも不安がない。とても小さな、指先ほどのあたたかいかけらのひとつひとつが、生きているのはとても不思議。そして不思議なものは綺麗、そんな気がする。
 けれど、春の香りはなんだか胸が騒いで私を落ち着かなくさせる。何かしなきゃ、何かしなきゃと私を駆り立てる。そうして夜風にあたっていると、もうどこかに行かなければならない気がして、変わらなければいけない気がして、私はひどく切なくなる。
 変わらなければならなくて、もしそれに絶えてもいつか変わってしまうものなら、私はこのまま死にたくなる。
 外に出て、夜の風にあたりながら思案を巡らせるのは私のつまらない癖で、この時だけは色々なことを考える。三鞭酒のように透き通るぱちぱちとした無限の思慮の海に溺れて、そこには遠慮も外聞もない。なんて心地の良いことなんだろう。ぱちぱち、ぱちぱちと音をたてて弾ける、眩しくてあたたかい空想を描く。もしこの時間がなかったのなら、私はいつでも女らしさとか、お礼儀よくしていることとかに縛られて、メタナアルに漬けられたような気でいることだろう。
 変わらないでいたい。いつまでも子供のように、愚直で、純粋で、素直で、清潔な石鹸の香りがするような少女でいたい。けれど、それはいけないことなのだろうか。子供の幼い我が儘なのだろうか。周りに変わりたくないと大声をあげる子なんていない。皆むしろ、少し上の年頃のお姉さんの真似ばかりをして、背伸びをしている気がする。私はひとり、おかしな子なのかしら。
 上を見上げれば満天の星。眩しくはないけれど、空想を広げるときの気持ちはこの夜空と同じだ。こうして綺麗な空を眺めて、得にもならないことを考えると幸福感に酔ってしまう。まるで三鞭酒を飲むように。ほら、耳元でぱちぱちと泡の弾ける音がする。
そしてまた、変わりたくない、と思うごとにぎゅうぎゅうと胸が締め付けられる。厭なことに、私はこのぎゅうとするのをこれ以上なく好いている。ぎゅう、ぎゅうぎゅう。もっともっとと、その感覚だけを求めて、変わりたくないと念じる。
 ひゅう、と生温い風が吹いた。感情に流されるな、抗うな、無駄はやめろ、どうしたって変わってしまうのだ、というように。辺り一帯は残酷に、切なくなるほどの春の匂いに包まれた。花の薫り、木の薫り、太陽の香り。何かしなきゃ、と煩く私を急き立てる。
 春でなくても私は夢見がち。あることないこと拾い上げて組み合わせ、空想に耽る。
 もし、その、尊い、尊ぶべき概念が、間違いだと決めつけられて、ところ構わず踏み付けられ、踏みにじられていたならば、いかにも真っ当な顔をして、さあ改めよと詰め寄り、無理矢理変えてしまっていたのなら――そういうことを考えてしまう。それに気づいて、私はなんてはしたないのだろうと、自己嫌悪にかられる。そうしてまた、胸がぎゅうとするのだ。昔には到底言えなかったことを言える、ただでさえ秩序の乱れた不真面目な世の中だというのに。私は自分から、不埒なことを考えてしまう。ぎゅうう、とまた、胸が締め付けられる。
 変わるものなのだ、進んでいけ、と風が押す。

 わたしがきれいなあいだに。

   * * *

 夏の風は軽薄。春のうちに変わらなかった者など知らぬというように、ただ重たくたゆたっている。
私はというと、夏の風にそっぽをむかれてしまう。
 空気を吸い、夏を感じる度私の肺は汚されていく。忘れてはいけない。まったく可哀相なことに、私は酷い死に方をする。肺が汚れ、息が吸えなくなり、苦しみのた打ち回って死んでしまうのだ。ひとの毒が体中に巡って。
 皆を見ると、どうして平気でいられるのかわからない。スカートを翻し歩いて、いかにも平和そうな顔で笑って。そうしているうちにも体は死へ近づいているのに、私はわからない。生きていれば、それはまあいずれ死んでしまう。仕方のないことだ。けれど、私たちが生きるって、呑気にのうのうと過ごすって、それは私たち自身が死へ向かって駆け足をしているようなものなのに。
 隣を歩く樹里さんが私の顔を覗き込んで、具合が悪そうだとおっしゃる。なんて優しいこと。私なんかの顔色の悪いのを心配してくださるなんて。そしてなんて愚かなこと。合った目が、私たちの濁った瞳とはまったく違う色を帯びている。私は自分が卑しくて目を逸らしてしまう。。
「大丈夫よ。心配ないわ」
「そうかしら。無理なさらないでね」
 女らしさというものを身につけることはとても大切ではある。社交事例とかそういった、物事を円滑に運ぶための手段であると同時に、どうしたって私は女なのだから、女らしさを大事にすべきであると思う。女らしさを知らない女性は、はしたない。誰が見ていなくとも、誰もが女らしさを捨てていても、自分を許す理由にはならない。
「ええ、ありがとう」
 そう思って、品よくお行儀よく、樹里さんのお話を聴く。
 樹里さんのお話はとても丁寧。自分のことなんか話さずに人の素敵なところ、それと少し可笑しいお話もしてくださる。樹里さんは丁寧で繊細で素敵な人。秘やかに私は樹里さんに、何かきらきらと光る、温度のない感情を抱いている。
 ほんの少し前まで花に溢れていた道は、今は青々とした草で埋まっている。少し歩くたびに、汗をかくのが感じられて、厭だ。流すようにかくわけではないけれど、肌が擦れる度にじんわりと湿る汗が、浅ましい。
 樹里さんは二つに編んだ髪を揺らして、しゃきしゃきと小気味良く歩く。それでも大股で歩くことなんてなく、慎ましやかなさまが素敵。控えめな目線、佇まいが美しい。見てみれば、他とは異なるらしい透き通るような真白な肌は汗を感じない。目に残る白さがほんの少しも厭らしくない。
 ひとつ先の角を曲がったら、同じ場所へ向かう女学生たちで視界が溢れてしまう。差異ひとつなく歩く彼女たちの中に私も収まると、安心できる。自己管理するよりもよっぽど容易く、厳密に管理されることへの安心感が、疎ましい。
 樹里さんはどう思われるのだろうか。こんな考えをする私について。
 いけない。こんな堂々巡りのくだらない思慮は、夜だけにしようと思っていたのに。わたしはただ女らしく、品よく、御行儀よくしてさえいればいいのだ。
 おはよう、おはよう、と朝の挨拶の大合唱に、毎度のことながら私は困惑。樹里さんにそう言ったら、確かにそうねと苦笑いをされてしまった。

 鐘の音と共に先生が教室にいらっしゃる。起立、礼と言うのは学級委員の樹里さんの仕事。樹里さんは言うなれば生徒の模範であって、清らかなまま。少しも態の悪いことなんてない。
 息をするたび、生きようとするたびに、喉元に毒が溜まっていく。私はそれを半分諦めて、他人事のような目で眺める。だって、皆そうなのだ。この国の人には仕様がないことなのだ。自分だけ、こんな小娘がひとりだけ助かろうなんて、はしたない。
 じわりじわりと、汗が滲む。暑さに気が遠くなってしまう。教室の半数は運動着に着替えている。浅ましい、はしたない、そんな格好で先生のお話を聞くだなんて。少し前まではこんなこと許されなかった。毒のせいだ。皆毒にやられてしまっているのだ。変わりたくなどない。毒が回ろうと、耐え忍んで態を保つべきだ。
 それでも、汗は止まらない。この制服の風通しの悪さといったら。
 先生が行かれた後、何をするにも二人で一緒、の樹里さんに、暑くて堪らないとこぼす。この伝統とさえ言われるような学校の病気はただの当然でしかない。けれど、その相手が樹里さんであることを、きっとお母さんはよく思っていらっしゃらない。
「着替えてしまいましょうよ、これで体を壊す方が悪いもの」
 ねえ樹里さん。あなたならきっとそうおっしゃると、私わかっていました。わかっていながら相談しました。確かに運動着で授業を受けるのはついこの間許可され、正しいことです。けれど私、はしたなく思うのです。はしたなく思うから、その決断、はしたなさの責任を樹里さんに背負って欲しかったのです。

 授業が終わって、制服に着替える。制服はすっかりからっとしていて、肌に心地好い。こうすると体が芯からぱりっとして、心も真っ直ぐになる気がする。
 樹里さんは委員の仕事があるというので、私はひとりで帰る。
 朝通ってきた道とは、全く違う道に思える。逆方向から行くというのもあるだろうし、時間が違うのもひとつの要因だろう。それでも、青々とした草は変わらない。夏の素っ気ない、気づきもしないような薫りは変わらない。
 家ではお母さんが台所で、お夕飯を作っている。玄関からその脇を通って、寝室へ行く。
「お帰り。今日の学校はどうだったの」
 ああ煩わしい。一体何を訊いているのかさっぱりだし、知ったところでどうなるものでもないように思う。ただの社交辞令でしかないのだ、こんなもの。わたしは生返事をして、足を速める。こんなわたしをお母さんはどう思われるのかしら。あの年頃の娘にはよくあることだと納得するのかしら。違うわ、お母さん。わたしに気がついて。
 寝室に鞄を置いて、畳の上に座ってひと休み。
 またひとつ、私は変わってしまった。制服でいることを諦めた。それだけじゃない。責任と罪悪感を、樹里さんに押し付けた。浅ましい。ああ私、自分が浅ましくて泣きそうになる。けれど泣かない。自分が一番大切そうに思えるから、自分を守るために浅ましいのでは到底泣けない。
 暑いけれど、どうしようもない。夏は暑いものだし、解決する術などとうに捨てたのだから。一年前がとても涼しかったのは、それに対処する術があったから。夏の暑さ自体は変わってなどいないのだ。
 あれから、最低限必要と思えるほどしか栄養をとっていない。随分体の肉が落ちた。頬骨も浮き出てきたように思える。けれど、死んでしまいはしない。真綿で首を絞められるように、生きていかなくてはいけない。
 脱衣所の鏡で、裸になった自分を見つめる。健康なかぎり、私は空腹になるし、睡眠も欲する。そしてそれらは満たせられることだ。だから死んでしまいはしない。けれど、人間らしく生きるのはとても億劫で、やるせない。髪を整えること、清楚な制服姿でいること、淑やかに、女らしくいること。どれも正しくて、必要だと思う。それなのに、ひどく煩わしい。
 意地を張らなければ良い。事実を受け止め、諦めれば良い。そうすればきっと一年前のような、あるいはより快適な、生活を手に入れられるのだろう。皆わかっているのだろう。けれどできない。貴ぶべき概念を、踏みにじることなどできない。それは大切だからと教えられたからじゃない。どこに自分の家を好かない人がいるのだろう。不満があろうとも離れられないものだ。仕方のないことなのだ。
 居間からお母さんのお声が聞こえる。どこかに電話をしているようで、周りを憚らないいつもより大きな声で話している。聞くべきではない、と思いつつも聞こえてしまう。おばあさまのことを悪く言ってらっしゃる。相手は去年お嫁に行ったお姉さんだろう。私はまた情けなくて泣きたくなってしまう。
 風は吹かない。夜空はすっかり濁って見える。けだるい空気が、ただぼんやりとたゆたっている。
 変われとは急かさない。ただ知らんぷりを決め込むばかり。なんてずるい。
 生温い風にあたって、私の肌はじんわりと汗をかいてきた。暑い、暑い。暑くて堪らない。夏の薫りなどしらない。この夜空の下では全ての感覚が鈍くなってしまう。
 変われ、変われと急かされなくとも、おそらくいずれ、人は変わるものだ。ただ、それが今なのが許せない。けれど、一年前の私と今の私は違う。今の私と、一年後の私は、同一視できないほど変わってしまう。そんな気がする。
 せめて、この夏。この夏までは、変わらないで、私の信じる私のままでいたい。あとたったの数週間だ。きっと来年からは、堪えられない。いくらこの国の人が我慢強くとも、毒を抱えたままではきっと限界がくる。そうしたら私は、変わらざるをえない。
 この夏まで、と繰り返し心に刻み、息を大きく吸う。こんなに伸びやかに深呼吸をしたのはいつが最後だったろうか。なぜだか胸が、きゅうと痛んだ。

わたしがきれいなあいだに、私は変わらないでいることを選んだ。それが達成できたかは、よくわからない。ただ一つ言えること、それは変わらないでいようと自分の信じる私にしがみつくそのさまは、淑やかさとは程遠かった。しかし、それがおそらく、生涯のうちで私が一番美しかった時だろう。