お生憎さま

〈憎悪は憎悪と名付け、飼いならせ(1.0.4.34)〉
時々刻々と積もり積もってゆく憎悪をどのようにして発散すればいいのだろう。骨っぽく肉の薄いあの子の手、その手の関節一つ一つをぽきぽきと軽く鳴らして折っていく、とか。推薦狙いのあの子の鞄から重要書類を拝借し、そのまま土へ返してしまう、とか。そんなことできやしないのに、いやでも考えるだけなら只で、リスクを負う必要はなくて、とすればわたしがそれを思考実験のうちに留めておくのは責任を負うことを拒んでいるからなのか、わたしの言う憎悪ってその程度のものなのか、なんにせよただただ思いつく限りの〈ひどい〉ことを頭の中で彼女にし続けて、お腹をなでられた時のすぐったくなるような心地がして、そんな自分を見つめる自分を発見し決まり悪くなってこの話はおしまい。

 真綿の手にゆっくりと力を入れる彼女の、光に透ける茶色い髪の毛――色素の薄い睫毛は短く、赤く細い血管が這う白目を上から縁取っている。どうしてだか彼女の目は青く見え――この教室には空がないのに、倫理を詰め込むだけの独房には自分を反射する窓さえないのに、ただただ青く、こちらに向いているのに視線が合うことはない。それが不思議で、夢のようで、ほとんどないような下睫毛の、その生え方ひとつひとつまでが目に焼き付く。この部屋にはわたしと彼女だけ、他には誰もいない。まだ学校に人は残っているはずなのに、耳鳴りがするほど空気はしんとしている。彼女の華奢な骨格を皮膚に感じて、ぞくりとする。ややもすれば崩れ壊れてしまいそう、そう思って、わたしはおとなしくされるがままになる。冷たく固い教室の隅に追い込まれ、圧力をかけられ、セーター越しに背骨と壁が出会うのを感じる。ああ、耳鳴り。頭が痛い。首にかかる力は花束を抱えるくらいの強さなのに、わたしは息もできない。――そうしないと全てが嘘になってしまう。確かに、確かに本当ではない。けれど完全な真実ではなくたって、完全な虚構に成り下がってしまうことはわたしの努力次第で避けられる――嘘だ、嘘だ、嘘だ! 嘘でしかないのだ。痛々しい幼稚なお芝居でしかない。わたしは死なない。自分が一番のわたしは、いくらこのお話を気に入ったって文脈のために死ぬことはできない。でも、儚いガラスを撫でる指先はぎりぎりとわたしの喉を締め付け、生きるために必要なものを無理矢理奪おうとする。苦しい、苦しい、ああ息もできず苦しいのだ、わたしは。
枝のような指先がするりとわたしの首を撫で下ろし、だらんと力なく腕が落ちる。
「一生、忘れない……」
彼女はわたしの肩に顔をうずめる。わたしは、一言でも発すればそれが涙に変わってしまう気がして、泣いてみせたりなんてしたくなくて、ごく、と喉を鳴らして、彼女の細腰に手をくべ燃え尽かさせてやろうか、いややめておこうか、いつかの拒絶を思い出し真正面の壁を見つめる。

〈感情を最優先せよ(0.0.0.0)〉
論理は、わたしが平穏な日常を生きるためにある。そして、わたしは論理を構築するために恣意的な選択をし、結果を観察し、論理の修正を行い、ありえないような想定をして、論理に沿って自分を動かして、不具合を見つけ、それを解消する。いつまでも不完全な論理体系。完成することのない生活。全てはわたしがなんのしがらみも感じずに感情を野放しにさせられるようにするためだ。倫理が何だ、身体が何だ、生産性が何だ! わたしのすべきことというのはただわたしを飽きさせないこと、そればかりだ。

 わたしの知らない集合に彼女が属していること、その事実はわざわざ確認するまでとないことだけど、それを認識させられる度にはっとする。彼女には可愛い先輩がいて、格好良い同輩がいて、いたいけな後輩がいる。それだって、わたしが把握できるくらいにはわたしに近い部分に過ぎない。地元の人、塾の人、例えば毎朝電車を同じくする人、何人が彼女を構成しているのだろう。「こつこつ努力するのが重要なんだよ」。彼女の言葉を思い出す。わたしの一部として、確かに彼女はいる。それがいいことなのか、そうではないのか。「受け売りだけど」――彼女の言葉、今まで忘れていたけれど、あの時彼女はそう言った。彼女はわたし以外の誰かで構成されている。くだらない精神論が、まだわたしの心に引っかかっているなんて彼女は知らない。知識を与える側は、他者の部分になってしまう側は、その事実に無頓着だ。彼女も、わたしの知らない誰かで構成されているけれど、その誰かの重要な一部にはなりえない。そう思って、私も同じように、彼女の重要な一部にはなりえなくって辛くって、でも彼女が幸せなのよりずっといい。人の不幸を正当に願うために、わたしは誠実に自分に不幸の論理を敷く。
「一緒に死のう」と言ってわたしの首に手をかけた彼女! わたしだってそれが戯れに過ぎないということくらい理解している。彼女には珍しい、大胆な、壮大な、非現実的な嘘。だからこそ、それに続いた言葉はその現実性によって、コントラストによって、彼女の本心に聞こえた。それはわたしの判断ミスでしかなく、彼女が対比の効果を意図していたか否かは問題ではなく、わたしが根拠なくそう思っただけで、わたしは彼女を責める理由を持たないだけで。わたしは唇を噛んで逆恨みするしかない。この気恥ずかしさ、空間がわたしの肩を持っているに違いないと信じ演じきったつもりでいたら、突然の暗転の後、わたしだけが期待していたことが白日のもとに晒されてしまった――そんな。
彼女とわたしの間にはどんな結末があり得るのだろう。このまま時が過ぎ卒業、同窓会で数回会い、やがてどちらも都合がつかず同窓会に出なくなり、最後に会ったのはいつだっただろう、なんて思うことすらなく、昔の憎悪も忘れて、彼女の存在すら忘れて、十代のわたしの存在も失って、そして、なんて、曖昧なことを思う。記憶に残らない平穏な別れなど無価値だ。それではわたしはこの憎悪が完全に消えるのさえも認識することができない。それより、と思う。それより衝撃的で心に残る、残忍で最悪で胸糞悪い別れ――わたしの憎悪全てを爆発させ、使い切ってしまうような。
けれど考えてみればそれって難しい。そういうお話は掃いて捨てるほどある。しかしその模倣であってはいけない。常識的に他の人には大したことでなくても、わたし達の間では凄惨な背反として成り立つような、共通の文脈を得ているからこそ機能するような、そんな別れ。ロマンチックで刺激的。
完璧を極めることは不可能だ。未完成でいい。行動に移してみれば、稚拙な物語だってうまい具合に転んでいく。それが運命なら。

〈屈辱よりは死を選べ(3.4.7.56)〉
一番強い感情ってなんだろう。愛? まさか。あの子に足りないのは腹筋だ。湾曲した背骨のかたちが黒く薄いセーターに浮く。あの子はいわゆる猫背で、座っている時ばかりか立っている時も猫背で、人の前に立つ仕事をしているのにその格好は割合ぶざまでおかしい。ない胸を張ってでもびしっときめてはいかがでしょう。薄っぺらいあの子は、食べても食べても太ることができず、それを恥のように思っている、と思っていたけれどそれは全くの間違いで、そんなキャラクタ性など現実の人間には皆無で、あの子は大食らいとは言わなくとも結構食べて、腹筋の足りない割には運動ができて、痩せるために毎日三十分歩くことを自分に課していて、自称するように人見知りで自信がなくて、それが姿勢にも表れているけれど皆に愛されて、割と気さくで、自然に笑顔を見せられて、お世辞を言ったり言われたりできて、好かれて、地位もあって、学もあって、お金もあって、みんなあって、あの子に足りないのは腹筋だ。そういうところが憎い、気に入らない。ただの嫉妬と人は言うかもしれない。それはわたしの矜持心から跳ね除けよう。あまり私を責めると巌頭之感でも書くかもしれない。

 あなたを分解したい。あなたを分解したい。あなたを分解したい。
どく、どく、と胸が跳ねる。足首から太ももへ、ぞくぞくと鳥肌が立ち、思わず身震いする。体が熱い。けれど首筋はやけに冷えて、わたしの体の中でそこだけ異物みたいだ。さっき触れられた頭は、質量を失ったようにふらふらとする。
あなたを分解して、分解しきって、わたしの中のあなたを、あなた以上に確かなあなたにしたい。わたしの中にだけ存在する、あなたにしたい。
――運命だと思った。

〈他者の言語を取り込め(3.0.9.41)〉
毎夜夢に見る因縁の君を現実に認めてしまったように、理想で固められた絵に描いた餅を確かに持ち得たように、わたしはあの子と言葉を交わしていた。なんの気もなく、ただ同じクラスで、顔と名前は知っていて、なんなら部活や委員会や勉強の出来具合と志望校くらいも知っていて、いやいや本当は血液型と家族構成と最寄り駅と身長と、あとそれとSNSのアカウント三つと電話番号とメールアドレス、それに妹の通う学校と両親の勤め先、あの子の家の犬の名前くらいは知っていて。でも別に、わざわざ頑張って調べたわけではないし、ただいつの間にか知っていただけだし。兎にも角にもわたし達は仲良く時間を共有した。あの子が口にするのは全部わたしの知っていることだった――知識としては。あの子の話を聞きながら、わたしは彼女の思考構造を読み取ろうと努力する。感性。理性。言語。倫理。自己。他者。できるだけ正確に、わたしの頭の中にあの子が独立して存在できるように。

 彼女は笑った。顔を赤くして声を上げて笑って、わたしの頭をわしわしと撫で回した――まるで犬にするように。わたしはその行為の意図が全く持って見えなかった。気になる。どうして笑うのか。気になる。どうして頭を撫で回すのか。気になる、気になる。ちゃんと話すのはこれが初めてなのに。真面目そうに見える彼女がいきなりこのような行動に及ぶとは。
別に、そうされるのが嫌なわけではなかった。わたしはあまりにも感情的で、身体には興味がなかったから。けれど普通は嫌な人もいるんじゃないの、それもこんな、さもすれば侮蔑とも取れるんじゃないの、これってこれって。
ぐるぐる回る思考回路に酔わされまいときゅっと唇を結ぶ。さもないと緩んでしまいそうだから。あの子を見上げると、あの子はまだ目を細めて笑っている。そこでわたしは溜め息をもらし、そこで、たぶん、全てが決まった。

〈対称性を考慮せよ(2.5.0.77)〉
わたしはあの子のために死ぬことはできない。わたしのためにあの子を殺すこともできない。けれど二人一緒なら、それはおあいこで、いいかな、と思う。人間にとって生死は一番の問題だと言われるけど、わたしには論理構造をおいて他にはないと思う。
復讐。徒な憎悪の発散ではなく、正当な権利としての復讐を考える。同じことを、し返す、とか。
裏切りは、劇的とは限らない。けれど劇的でなければ裏切りとは言えない、などと定めることもできない。裏切りの前には信頼がなければならない。信頼は一人では成り立たない。
あの子の首を絞める真似をする――役を入れ替えて再現してみたって、主体と客体の言語が違えば対称性を求められない。対称性、わたしはそれに囚われる。

 処理能力が低いくせに多くの仕事を引き受けて、案の定消化しきれずに辛くなって、けれど人には言えなくて、けれど周りはちゃんと気づいて、怒りもせず責めもせずただ仕事のサポートを買ってでて、みんな仲良く大団円、そんなべたつく空気を作り出すことにかけて彼女は天才だ。わたしは黙ってそれを見る。馬鹿だな、と思いながら、いいな、と妬みながら、羨ましがりつつも一人黙々と勉強する。そんなわたしには誰一人として気づかないし、声もかけない。そんな時、わたしは悲しいのか、辛いのか、加わりたいと思っているのか、一人にしておいてと願っているのか、それがわからなくって、けれどそれはとても大切で、自分の感情に名前をつけて自覚して、適切な対処をしなければならない、そう思うから、わたしは黙って手を動かして、頭は違う方向に向ける。昔から複数のことを同時にやるのは得意だった。左手で問題集を押さえ、右手でシャープペンシルを持ち、ノートに数式を書き連ね、目はノートを見ているけれど、本当はわたしの斜め後ろ、自分の後頭部が見える位置から自分を俯瞰していて、周囲の人々がどう動いているのかを見ていて、それと右斜め後ろにいるあの子の表情を見ていて、両耳はあの子の言葉を捕らえていて、頭のどこかの部分は論理の再構築を絶えず行っていて、またある部分は彼女の話の整合性を確認していて、あとは、全力で、今の自分の状態を言葉に――うまく扱えるように、努めている。

〈心をおさめるために論理を再構築せよ(2.0.5.72)〉
裏切られたから嫌いなのか、嫌いだから裏切られたのか、あるいは裏切られたなんていうのは非常に自分勝手な表現で、あの子としてはただの何でもない冗談だったものをわたしが勝手に重く受け止めてしまって、どうして約束守ってくれないのねえなんで、って一人で喚いているのに過ぎないのか。最後のは例え仮に真実だとしても認めたくないのは勿論なので、わたしは「裏切り」の項目を書き換える。実際、憎悪というのは晴らすことのできるものなのだろうか。愚問である。わたしが憎悪を晴らしたいのなら晴らせるものとして、晴らしたくないのなら晴らせないものとして規定すればいいだけのこと。そうすれば、たとえできそうに思えなくっても、いつか晴らすことのできるものとしての憎悪に希望を見出し続けることができる。

 憎悪は、わたしの中でただの感情としてはあまりに大きくなっていた。本来他にあった要素を吸収し、より広義へと発展した。最早限定的すぎて、あの子にしか向けられない。
好き? いいえ。嫌い? いいえ。信頼してる? 尊敬してる? 友達だと思ってる? いいえ、いいえ、いいえ。わたしは彼女に憎悪を抱いています。憎悪は憎悪と名付け、飼いならさねばならない。感情を最優先せねばならない。屈辱よりは死を選ばねばならない。他者の言語を取り込まねばならない。対称性を考慮せねばならない。心をおさめるために論理を再構築せねばならない。わたしの言う憎悪が、一般にはなんと言われるか、あの子はどう受け取るか、なんて知ったことではないわけで。
結局、わたしのあの子への感情は、憎悪であり、憎悪でしかなく、やっぱり憎悪だから、憎悪、なのだった。わたしがそう定めた限りにおいて、純然たる憎悪だ。わたしの論理は倫理に互換性がない。あるいは常識とか。だから、わたしが論理を書き換えない限り、これは憎悪でしかない。書き換える予定は、というと、今のところなく、というのも最早あの子と話すことはなく、同じ空間に存在することもなく、触れることも、もちろん触れられることもなく、事態はいっこうに進行しないわけで。だから自己矛盾を叩き潰すために論理の書き換えを行う必然性も生まれないのだった。
「ね、そうでしょう?」とわたしはあの子に言う。「もうわたしのことなんて忘れているでしょう」。
「覚えているよ」
「嘘」
「忘れるわけないじゃん」
「嘘」
「だって二年間同じクラスだったんだよ」
「うん」
「それで忘れるって、ありえなくない?」
そうだね、ありえないね、忘れることなんて。
前言撤回。言語の差異によって生まれる憎悪は、今もなお書き換えられている。