――神として崇めよ、さすれば救われん。
そう言いきった先生のお言葉を、私は冗談とも思わずスッカリ信じ込みました。
先生は白髪の混じった髪を掻き分け掻き分け、赤い立派な椅子の背もたれに体全体を預けながら俯いて、一寸考えたようなお顔をされました。先生の奥に御座います窓からは、鬱蒼とした木々が見えるばかりで他には家一つ御座いません。まるでお伽話の中の世界にいるような気さえしてくるものでして、私はここへ来る度平生の常識や倫理観を忘れてしまいます。また、或いは、窮屈なそれらを忘れに先生を訪ねるのかとも知れません。
先生はまたすぐにこちらをご覧になって、その詳細をお聞かせ下さいました。
曰く、偶像崇拝は構わないそうです。特に禁止される食べ物はないようです。他の宗教によく見られる拘束的なあれやこれやというものはないからまア気楽にいこうじゃないかと笑って仰ります。しかし、唯一つ、常に清潔であれと先生は仰りました。
このようにして、先生はドウすればいいかを懇意に教えて下さったのですが、先生は教祖様という訳ではないので御座います。先生はこの宗教において ――そう、驚くことに『宗教』なのです――何の役割をもされてはいらっしゃいません。私のこの、宗教というのは、私と神の間でのみ存在するのだと、先生はこう仰りました。
「先生、ナニか用意するものはございますでしょうか」
そう私が伺うと、先生はまた暫しお考えになって、
「そうだねエ。まア、まずは写真でも立派な額に飾って、拝みなさい。悩み事を相談してもいいかも知れないね」
髭の伸びた顎に手をやり、仙人のようにそう仰るのでした。
翌日、私はその通りに写真と額縁に手に入れました。額縁はすぐに買うことができましたが、写真というのが厄介でした。勿論それまでは神とも思わず接してきましたので、写真を撮るのには大変苦労いたしました。人に頼もうか、それともどこかの筋をあたってみるか、散々逡巡した挙げ句、最後にはジブンで写真機に手をかけ、ナンとか上手く撮れましたが、矢張り大変な労でありました。その後自分で現像することも考えましたが、間違いがあってはおられぬ、町一番の写真屋に引き伸ばせるだけ伸ばしてくれと頼みました。すると葉書より三回りくらいは大きい写真が返って参りました。それを見て、私はナンだか言い表せないような気持ちになったので御座います。その厚紙を受け取り、確認し、数秒間見つめた後、私は眉を顰めて顔を背けました。それはどうしてかと今になって考えますと、その時には未だ神を前にしているのだという自覚がなかったからで御座いましょう。
一方額縁は近所の美術に関するものを扱うお店で買うことに致しまして、そこは絵の具からどこの誰とも知られぬ画家が描いた絵一枚まで、ありとあらゆるものが手に入るような店で、額縁などはそれこそごまんと御座いました。元は茶色かったのでありましょう、今や塗料の剥がれて何色とも言えぬ色合いになってしまった、埃塗れの背の高い棚を前にして、私は目を右から左へ遣りました。目が回るほどの物凄い量で、それでもまだ奥には棚が御座います。それだけでなく壁や床、或いは天井まで、所狭しと夥しい数の額が御座いました。私はそこを何度も行き来し、そしてぎらぎら光る金の額、銀の額を手にとり見比べ、金の方がそれらしいと、確かにそう思ったのですが、気付けば私は紫色の額を手にしておりました。光沢のない、素っ気ない紫一色の額でございます。私は意識することなくそれを暫く見つめておりまして、そしてハッと、これを買おう、そういう気持ちが沸き起こって参りましたのです。それはとても動かし難く、確固たる気持ちで御座いました。これも魔力、いえ神通力と言うのでしょうか。誠に不思議に思われます。
写真と額を手にして帰る道はいつもとは少し異なっておりました。道端の草木や灰色の塀はいつもとナンにも変わりはしませんが、それらを見る私の心が違っておりました。有り体に言ってしまえば、心がざわつくような、期待に胸が高まるような、そんな心持ちで御座います。何か新しいものが生まれると途端に飛んでいく、そんなふわふわと覚束ない思いで家へ帰るのはこれが二度目で御座いました。これから行く先の明るいこと、そればかりに意識が向かってしまって、全く何も他には考えられなくなるので御座います。
 
 

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