紫の額縁の中の神は真っ直ぐにこちらを見ていらっしゃるように思われます。えエ、確かにお顔はこちらを向いていらっしゃいますが、その澄んだお目の奥がどちらを見ていらっしゃるか、私には分かりません。私は矢張り、また、初めの時のような心持ちに引き戻され、少しばかり恥ずかしくなって参りました。これでは先生の教えの通りには出来ません。次に先生にお会いする機会が御座いましたら、このことを相談いたしましょう。
「今思い返せば、確かに私は間の抜けた振る舞いをしておりました。私とNの、その時点での関係にはそぐわない、滑稽で勘違いも甚だしい、恥ずべきでしゃばり……そんな私を間近で見ていたNは、私を一体どのように思っていたので御座いましょう。いつでも機嫌の良い笑顔の絶えない、人当たりの良いあの少女はその実、私のことを疎ましく思っていたのでしょうか。陰では眉を顰めて私を嫌っていたのでしょうか。分かりません。
こういった想像のどれも、全て私の望みに支えれているので御座いましょう。私が、彼女との親交を深めたいという思いに捕らわれているように、彼女も私との関係を気にしているはずだ、とこう夢想して、それを私は振り切ることが能わないので御座います。それを私は自覚しております。現実には、大らかな彼女のことです、私の秘められた感情には気づきもしないかとも知れません。彼女はそういう点において、鈍いものですから。また、私も彼女も他人にそれほどの興味を抱くことがない、先程こう申しました。私は彼女に出会ってから彼女に関心を奪われておりましたが、彼女はどうだか知れません、きっとそれまでの姿勢は変わらないでしょうから、私にはそれほどの興味も持ってはいないかと存じます。ですから、特別ナンということもなかったかとも知れません。
――けれど、きっと、肌で感じていたはずなので御座います、本人にその認識があったかどうかは別として。私の方としては親しくなりたいと、そればかりのつもりで御座いましたが、私の知らない感情は裡には留まらず、外へ溢れ出ておりました。エエ、そうに違い御座いません」
部屋の中は電気をつけずとも十分に明るく、窓からの光は反対の壁に当たり、私を照らしております。幾度も壁に当たってぼんやりと暖かに溶けた光が、紫色に輝いて額の中から私へ降り注いでいます。
目の前におわす神、額の中の写真は、最早普段見慣れた顔では御座いません。ただ、清廉な、神聖な、威信のある、凛としたかんばせ。神は私に何の助言も与えてはくださりません。教えを授けてくださったり、手厳しい叱咤激励をくださったり、ソンなことは何一つ、御座いません。ただそこにいらっしゃり、私をお見つめになり、私の話に耳を傾けてくださる、それだけのことです。けれど私には、私の心に沈む得体の知れない晴れない霧を吹き飛ばしてくださる、水底に落ち込んでなくしてしまったものを取り戻してくださる、そういう気がしてなりません。
「馴れ馴れしく触れ、わかったようなことを言って理解者のように振舞い、慰めに肩を寄せ……これらのことは、事実、彼女の友人としての地位を築きあげたいがためであったので御座います。周りにはそれが了解されていたとは思いません。いいえ、端(はな)から彼女らは私をあたかもNの一番の親友のように扱いました。それが私を更に天狗にさせました。けれど、満足には至らなかったので御座います。
このままではいけない、他人に認められども、私とNの間にあるものは決して本物ではない。そう思いまして、次々に思案を働かせ、よりよい友であろうと、最上の友であろうと私は忙しく駆け巡りました。他の友人はその度私達を模範のように扱いましたが、ついぞNの笑顔は変わることはございませんでした。咲いて萎みはいたしますが、ずっと変わらずにある張りぼてのようなまやかしの美しさ、それを見るたび私は自らの力不足を感じました。
――彼女は、Nは……私の根底にある、私自身も気づいていなかったものを見透かして、せせら笑っていたのでしょうか」
遠くで、五時の鐘が響きました。いつも聞き慣れた規律正しい旋律で御座います。私はそれをぼんやりと聞いておりまして、頭の中は今申したことでいっぱいで御座いました。それは確かに私の心の中にずっとあった言葉で御座いましたが、口に出して、それを聞いてみると何やら違った響きに聞こえました。今の今まで私が抱えていた問題が、この時ようやく私にも掴み取れたので御座います。
私が床に座って呆けていると、すっと陽が陰ったのに気がつきました。気づけば五時の鐘はその余韻を残しているばかりです。
――ああ、夕飯の支度をしなければ。

| 四 |

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