下がり藤

蔓木は二十四金の美少女だ。
いくらクラスに可愛い子が多いと言っても本物の美少女はそうそういない。
私はその蔓木の幼馴染で、大の仲良しである。放課後どちらかの家に行って、狭い部屋で時間を過ごすのが習慣だ。今蔓木は私の勉強机を背に、椅子に座っている。皺になるからといってスカートを抜いだ下半身は黒いスパッツだけ。一方私は、学校から帰ってきたそのままの格好で、膝を折って背を丸め、左手で蔓木の頬に触れ、右手でリップクリームを持ち、塗る。全神経が指先に集中していた。
――その美少女と私は幼馴染で、こうして触れ合うほど近しい仲。
蔓木は緊張しているような素振りもみせず黙って私にリップクリームを塗られている。文句なしに可愛い。
私達の間ではこんなことが普通に行われる、いやいやもっとすごいことまで――それはもう、男女であれば子供がダース単位でできるくらい。
「……瑞玖木」
「何? 動かないで」
蔓木は不満そうに少し口を尖らせた。ああ可愛い。
桃色の唇の向かって右端の端の端までリップクリームをのばし終わって、私は身体を起こして首を回す。
電気の点いていない部屋に、蔓木の背にある窓から光が差し込んでいる。もともと茶色っぽい蔓木の髪は、いつにもまして明るく見える。
しばらく見ているとぼうっとしてきて、それまで何を考えていたか忘れてしまった。空中に浮かぶ埃が蔓木の前を舞う。時計の秒針の音が思いの外がゆっくりした間隔で聞こえる。
「今度さあ、野之葉ちゃんが放課後話そうって」
「合戦谷野之葉? へえ、行ってらっしゃい」
「多分文化祭のことだと思うんだよね」
「ああ、グループの登録ってもうすぐだっけ」
「そう……」
蔓木は去年の文化祭で三年生主催のファッションショーに出た。今年は確か、そのグループから分化した二グループと、他に三年生主催が三グループ、二年生主催が四グループ、一年生主催が三グループあるとか。とはいっても登録までにはまとまって各学年二三グループにはなるだろう。
「今年も先輩のところに出るの?」
「まあ、そうしたいんだけどね……」
珍しく蔓木の歯切れが悪い。普段の蔓木の価値判断、意思決定は迅速で断定的だ。全ては自分のために。呆れるくらいの利己主義者。
「先輩のグループの良いところ。集客力が強い。衣装が期待できる。演出も良さそう」
「悪いところは?」
「私の持ち時間が短い。ソロじゃない」
それは大変ね。とはいえ仕方がないことだろう。いくら可愛くたってここは年功序列の世界。下の学年にいる時は必死で雑用をし、補佐をし、尻拭いをして常に先輩への尊敬の念を忘れない。辛抱すれば必ず自由に振る舞える時が来る。それを崩そうとすれば自分が痛い目に遭うだけだ。蔓木もそれは知っている。
「合戦谷のグループは?」
「……悪いところ。要領が悪い。まとまりがない。三年のグループと時間がかぶったら集客できないし、ホールも取れない」
「……でも、ソロで持ち時間が長い?」
「そう。ああ、どうしようかなあ」
合戦谷と話だけしてみれば、と思うけど、それは参加決定だと取られるだろう。まあどちらにせよ蔓木の可愛さは変わらないので、私としてはどちらでもいい。
「でもそれもわからなきんだよね。連携取れてなくて話が二転三転してるから……うーん」
私は蔓木の靴下を脱がせる。蔓木は足までも作り物みたいに綺麗。そう、蔓木の可愛さはいわゆる美人というのとは違って、作り物っぽい可愛さなのだ。美少女らしさ。完璧に均等に出来ている人工的な身体。でも実際には老廃していく。天気の変化を受ける。ホルモンに左右される。それでも蔓木はいつでも安定して可愛い。それは蔓木の努力があってこそ。
勉強机の引き出しを引いて、ベースコートを取り出す。綺麗に切りそろえられた爪を観察し、どの指からどのくらいの量を塗っていこうかと考える。
「まあ二年相手なら交渉次第でどうでもなるでしょ」
「……そうね」
蔓木はいつになく迷っている様子だ。気にならないわけではないが、私は左足の人差し指からぬることに決めた。 黙々と作業をこなさねばならない。
「じゃあ行こうかな、野之葉ちゃんと……うん、まあ後から断われないこともないでしょう」
蔓木はとりあえずは考えがまとまったようで、一人頷いた。集中して疲れた私は、眼鏡を外し、髪を解いた。
「蔓木は本当に可愛いね」
「知ってる」
蔓木はへへ、と笑って肩を揺らした。蔓木は可愛い、が、しかし、私はこの表情が嫌いだ。蔓木の可愛さに極大値を取らせる表情なのだが。
蔓木は角を立てずに自分の要求を通すことができた。一方私はというと、社交的な蔓木とは違っていつも黙っていたし、欲しいものは何もなかった。可愛さも、いずれなくなってしまうものだから、もっと将来に残るものを身につけたいと思った。
「……」
蔓木はじっとこちらを見ている。可愛い。
「何?」
「学校でもそうしてたらいいのに。コンタクトにしてさ、髪下ろして」
「嫌、面倒臭い」

「瑞玖木、可愛い」

「だって瑞玖木、学校ではあんまり話してくれないじゃん」
「忙しいから」
「休み時間も勉強してるんでしょう? 休み時間は休まないと」
休み時間に勉強しているから、こうして放課後ゆっくりと蔓木といられるんだ――言おうかどうか一瞬考えて、やめた。まあ言っても蔓木は何も思わないだろう。それに順序が違う。蔓木といるために、他の時間を犠牲にしているんだ。
「瑞玖木は何かやるの?」
私は蔓木の爪を見たまま首を横に振る。文化祭の準備期間は蔓木は多忙でろくに会えない。個々の発表団体が忙しくしているからクラスから抜けても誰も気が付かないし、そっと抜けてどこかで勉強でもしていよう。

昼休み。いつものように教室の自分の席で耳栓をして課題をしていると肩を叩かれた。何かと思って見ると――合戦谷野之葉。
「永興さん」
一体何の用だ? 蔓木のことかもしれないが、幼馴染みで毎日お互いの家に行っている、とは言ってもそれは学校外でのこと。昨日蔓木が言っていたように、私達は学校ではほとんど話さない。だから私達の仲を知っているのは私と蔓木の共通の友達くらい、のはず。
私は思わず顔をしかめ――というのも学校での隙間時間でこの課題を終わらせるにはぎりぎりのスケジュールを組んでいたから――耳栓を外した。
「……何?」
我ながら高圧的。愛想がない。
「文化祭のことで。……外で話さない?」
「どれくらいかかる? 悪いけど長くは話せないよ」
合戦谷はあからさまに不愉快な顔をした。それは思わず嫌に思いが顔に出たというより、いかに言葉にせず相手に譲歩させるか、という戦略からでてきたものだろう。生憎私はそれを備えていないし、真摯に気持ちを汲み取るつもりもない。言葉が全てだ。口を開かずに思いを汲み取ってもらおうなんて勘違いも甚だしい。
それは他の誰よりも自分に当てはまることなのは自覚している。私も私で顔をしかめ、眉をひそめ、渋々といった感じで立ち上がり、合戦谷についていく。教室を見渡してみると蔓木はいなかった。蔓木も呼び出されていて外で待っているんだろうか?
「知ってるかもしれないけど、うちのグループで弓弦羽蔓木を誘ったんだ。ファッションショーの……」
「知ってる。それで?」
「……まだ弓弦羽が入るか決まってないんだけど、入ったとしてもこっち人が足りなくって誰かいないかって弓弦羽に訊いたんだよ」
「で、私ってわけ?」
「……そう。練習は出なくてもいいから、当日の機材運びだけでも……って調子いいよな、ごめん、でもこっちもぎりぎりで……登録までまだあるし、もし弓弦羽がうちに入らなかったらやらなくていいから……」
合戦谷野之葉はさっきの不機嫌も忘れたように、本当に切羽詰まっているように言った。
実際に蔓木の言ったことは違ったんだろう、と思う。けれどそれは私にとっては問題じゃない。それでは合戦谷が蔓木の言ったままのことを言ったら、私は断ることになっただろう。
「いいよ」
と私は言った。「蔓木が入らなくてもやる。本当に当日だけでいいなら」と。
嬉しそうに――私を「見直した」というかのように――礼を言う合戦谷を後に、私は足早に教室に戻った。

蔓木は美少女だ。美少女はどこのパーツをとっても可愛くなければならない。今日は手の爪。十本全ての爪がきっちり左右対称でバランスがいい。爪なんて、と軽視してはいけない。例えば、私の右手中指はペンの持ちすぎで左側が直角に折れ曲がっている。といっても、私が勉強のし過ぎで、蔓木が勉強のしなさすぎ、というわけじゃない。蔓木は持って生まれたものをなくしてしまわないように粛々と努力しているのだ。
「蔓木」
「うん?」
「今日、合戦谷野之葉に頼まれて――グループに入った」
私は蔓木の手を見ながら右端から行くか左端から行くか考えていた。
「えっ? やってくれるんだ! やらないかと思ったよ」
と蔓木の声は跳ねる。蔓木の考えていることは十中八九、私もキャストとしてファッションショーに出ることだろう。でもそれは合戦谷には――多分、蔓木以外の誰にも受け入れられないだろう。私は目を伏せたまま、
「当日しか出ないけどね、雑用だから」
と言った。そして私は蔓木の爪に、ゼリーみたいにひんやりとしたベースコートを塗っていく。はっ、とした息遣いを感じる。
「……そう。じゃあ私も野之葉ちゃんのところにしよう」
蔓木はどう思ったか――一、合戦谷は私にキャストを提案したが、私が断って雑用になった。二、合戦谷は初めからキャストを提案しなかった。
可愛い可愛い十の爪を可愛がり終わって、私は顔を上げて後ろにあるベッドにもたれかかる。今日は蔓木の家。蔓木はラグの上に座り、小さなローテーブルに腕を押し付けている。黒ずんでしまうから、肘をついてはいけない。
蔓木は部屋着に着替えていた。私はというと、眼鏡もとらず、髪を解かず、皺を気にしてスカートを脱ぐなんてこともなく。
そんな私は、可愛くない。だから合戦谷が私をキャストに誘うはずなんてない。ということを、蔓木は多分理解していない。
私の視線に気がついて、蔓木はさっと笑顔を作ってみせた。テーブルに乗り出してこっちに手を突き出す。
「何、まだ乾いてないでしょ?」
「手、だして。私も塗ってあげる」
「いいよ、私は」
不精のもとに努力は無意味だ。努力が成果に結びつくためには前もっての努力がなければ。
蔓木は半ば強引に私の手を引っ張り、テーブルの上にのせた。すぐにひやりとした感覚があった。まだ自分の爪の濡れたままの蔓木は、爪がどこかに触れてしまわないように指を立てて私の爪にとろとろのゼリーをのせていく。その目つきは真剣。私は諦めて抗議もせずになされるまま。
「……蔓木、可愛いよ」
あんまり集中しているものだから聞いていないかとも思ったけど、蔓木は頷いた。
「瑞玖木も可愛い」

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