奇勝と瞬間惑溺

「私、楓ちゃんのこと好きだよ」
「ありがとう」
頭上で平然と交わされる会話に、気づかされる。そうだ、この竹田楓に話しかける声は――。
「…………紗弥」
絞り出した自分の声はまるで他の人のそれのように、色合いが異なって聞こえた。実際に私が感じているものと違い、放った声は全く異なった意味合いを孕んでいるようだった。
「なーあに、茜」
ふふ、と微笑んで竹田楓の声色を真似る紗弥。「私の名前を呼ばないで」と叫びだしたくなる感情に駆られる。けれど、言わない。紗弥に対しての苛つき、鬱陶しさ、鳥肌の立つような嫌悪感、全てを含めて悪態をつくだけでは足りない。
「……それはそうと。楓ちゃん、私のことどう思う?」
私なんて初めからいなかったかのように、それまでの会話に戻った紗弥。私に背中を向けて、竹田楓に語りかける。
また、ずれた返答で紗弥を混乱させて。私にそうしたように、悩ませて、いらつかせて、苦しませて。そう勝手に思ってみるけれど、何より私が恐れているのは、実のところ真っ当な答えなのだと思う。意味の通る、彼女を受け入れる、可愛いとか優しいとかありきたりで差しさわりのない答えなんかではなくて、
「付き合って」
――そう、こんな。目の前が真っ白になる。けれど、声を振り絞る。
「付き合って、竹田楓」
やっぱり言葉は軽い。軽すぎて、言った瞬間からふわふわと消えていってしまう。甘い言葉を吐いているのに、炭酸水でも口に含んだかのようにぴりぴりと痛い。時に言葉は、鋭く何かを切りつけることがある。
紗弥がこっちを見ているのが、分かる。張り詰めた空気が流れている。けれど、そんなことはどうでもよかった。竹田楓の反応だけを追いつづける。それまでとは違う竹田楓の真面目な顔からは、彼女の心情は読み取れない。何を考えているのかさっぱり分からない。
私の言葉から数秒、いや数十秒経っただろうか。静かな水の中に三人だけほうり出されたように思え、私は不思議な感覚でそこに立ちすくんでいた。その高揚感ににた感覚を味わい、溺れそうになった、その時。
ぱちん、とすぐ横で音がした。竹田楓が私の頬を打ったのだ。はっと顔を上げると、彼女は機嫌よくにっこりと笑っていた。一点の曇りもなく。
「あーああ、振られちゃったね。人の恋路邪魔するからだよ?」
紗弥は紗弥でにやにや顔で私を一瞥し、取って付けた様に気の毒そうな顔をした。けれど、私はそんな彼女こそ本当に憐れに思う。彼女は竹田楓が私を打った訳を知らない。私だって憶測でしかない。けれど、きっと。