幻想の町の中で

 夕暮れに包まれた町全体が、今日ばかりは異様な光を灯していた。其処ら中の家々から異国の奇妙な音楽が溢れ出し、軒下には恐ろしい顔のついた提灯を下げている。
「全く、馬鹿ばかりだね」
 自室の窓から外のお祭り騒ぎを眺めてそう吐き捨てたのはリーズ・ボーカンだ。長い金色の髪を上手にカールさせている年頃の娘だが、斜に構えた態度と極度の男嫌いからボーイフレンドの一つも出来ない。そんな彼女を心底心配し、世話をし、勉強も見てあげる幼気な幼馴染のイヴェット・カステンはぼさぼさとした灰色に燻ぶった髪の毛を結わえつつ言った。
「本当に。曲がり角の雑貨店の主人、この前まで子供のお祭りだって馬鹿にしていたじゃない。それのに街で一番大きい提灯なんかぶら下げて」
「嗚呼確かに、そうだね、けれど商売人は仕方がない。奴等のは病気だから。それより僕は、いつもは温厚な人たちが一瞬で別の世界に言ったような気がするよ。まるで悪い宗教にでも取り付かれてしまったみたいだ」
 それは強ち間違いじゃないわ、そう呟いてイヴェットは今やリーズの我楽多置き場と成っている備え付けの棚から教科書を引っ張り出した。それを見るなり、リーズは顔を青くして不平を言い始める。「君、それは今やらなくても済むことだろう」。
「いいえ、勉強は若いうちにしておくものよ、リーズ」
 溜息交じりに言うイヴェットの冷たい視線から逃れようと、リーズは背の高いアンティークチェアによじ登った。よじ登るというのは大袈裟にしても、一体どんな大男が使っていたのかと思うようなそれは、決して背の高くない彼女には不釣合いだった。その落ち着いた色の椅子はすっぽりと彼女を包み込み、穏やかに構えてリーズを擁護する。
「君はいつもそう言う。勉強、勉強、そればっかりだ。僕の、僕の――勉強させられる僕の気持ちにも為ってごらんよ」
 偏屈な幼馴染の弱音も気にせず、イヴェットは次々と教科書やノートを準備した。学のない両親のお陰で、カステン家は酷い赤貧に喘いでいるのだ。リーズは正に自分の両親のようになってしまいかねない、とイヴェットは常々思っている。
 精一杯勉強道具を見ないよう最後の抵抗を続けながら、ううんとリーズは唸った。やっと観念してくれたか、と心優しい幼馴染が思った瞬間、
「そうだ、ねぇ君、地下倉庫へ行こうよ。今なら父さんたちはいないし――」
「けれど、メイド達がいるじゃない」
 なんとかこの幼馴染がこれ以上道を踏み外さないよう、婉曲に健気なイヴェットが窘める。けれどそんな思いは当の本人には届かなかったようで、
「嗚呼、彼女達は家の主人が居ないのを良いことに街に出ていったよ。……だから、誰にも気づかれない」
 にやりとしたり顔の彼女を見て、イヴェットは小さく頭を押さえた。彼女を止める術は、聡明な彼女にも思いつきそうになかった。

   * * *

 ボーカン家の地下一階には買い置きの食料がずらりと並んでいる。無限に続くようなそこを通り抜けきったところに、ようやくリーズが『倉庫』と称したそれがある。遥か昔のボーカン家のお歴々の残した本や服など――今となってはもう使えない我楽多が溢れんばかりに押し込んである。普段は誰も立ち寄らず、好奇心の強いリーズでさえも随分前にイヴェットと一回行ったきりであった。
 みしみしと嫌な音のする、埃のこんもり積もった薄い木の階段をリーズが豪快に突っ切る。堅いヒールを鳴らして行く姿は凛々しく美しい。そんな彼女に続きながらもイヴェットは、もう少し女の子らしくしてくれれば、きっと良い出会いがあるはずだわと考えていた。そういうリーズも実際、同い年の多くの女の子のように恋愛には積極的ではなかったのだが。
「君、危ないぞ。一歩間違えれば埃の山に飛び込むことになるんだから、しっかり前を見て歩いてくれよ」
 見ればイヴェットは方向を外れて、薄い木の階段を盛大に踏み外そうとしていた。「あ、ありがとう」とぎこちなく言うイヴェットは実のところ、勇敢で凛々しい幼馴染の影を追っていた。それは心幼い少女が不良少年に憧れるような、淡い思いであった。
「嗚呼、やっと着いたよ」
 目の前、視界を覆ってしまう程大きな倉庫。時の流れを感じさせるそれには、深く霞む金色の錠前がぶら下がっている。それに加え、彼方此方に銀色の杭が打たれ、同じく銀色のいかにも頑丈そうな鎖が掛かっている。小さな少女二人には到底解けそうにはない。ここまで来てどうするの、やっぱり部屋で勉強していればよかったのよと少し苛立たしげにイヴェットはリーズを見上げた。体が薄く華奢なリーズの手足は、まるで少年のように細く、長い。驚くほど白い肌が、眼に焼きついてくる。
 不満げな彼女の視線に気づいたリーズは、にっこりと悪戯っぽい笑みを広げる。
「……何か考えがあるの?」
「勿論。メイドが鍵を放ったらかしにしていたから持ってきた。嗚呼君の考える通り職務怠慢だ。……君、僕を見くびらないでくれるか」
 見くびってなんかいないわ、とイヴェットは不満そうにしていたが、リーズがポケットから鍵の束を取り出すと、また口煩くし始めた。良くも悪くも、彼女は世話焼きな質なのだ。
 かちゃかちゃと鍵の束から合うものを探し、その内いくつかを鍵穴へ差し込んでみる。けれど一向に正解は出ない。見くびるな、と言った矢先、やすやすと投げ出すのも気が引ける。いや、そんなことは絶対に出来ない――リーズの焦りが通じたのか、そのすぐ後に差し込んだ鍵がぴったりと嵌った。
 鍵前を開けて、幾重にも絡まる鎖を意気揚々と外すリーズを見ながら、イヴェットは胸に黒い靄が掛かるような気持ちになった。元々倉庫に隠れて来るというのも性に合わなかったし、こんなに厳重に施錠されているなんて、何が入っているかわかったものではない。大人しく外の奴等を蔑み、哀れんで、そして出来たら勉強をして、いつものように過ごしていれば。
「イヴェット、何をぼんやりしているんだ。早く、中に入ろうじゃないか」
 正直、イヴェットは入りたくはなかったが、乗りかかった船だ、仕方なく差し出された幼馴染の手を取った。

「暗いわ、リーズ。それにこの埃。……ちょっと、一人で先に行かないで」
 この倉庫は、倉庫と言えど、大きな箱であった。広いリーズの部屋の数倍はあり、中は仕切りもなく、小さなカンテラが一つだけぶら下がっている。リーズはイヴェットを置いて、その唯一つの明かり、カンテラに灯を与えた。ぱっとカンテラの周りが明るくなる。入り口のところに立ち尽くしていたイヴェットの顔を見ると、リーズは乾いた声で機嫌よく笑った。
「ねぇ、君、泣いているの?」
「泣いてなんかないわ」
「泣いているだろう、目が真っ赤だ」
 泣いていないと言い張る彼女の大きな瞳には、確かに涙が溜まっていた。それでも懸命に拭って、泣いていない泣いていないと繰り返す。
「そんな泣く程に暗闇が嫌だったの? 君は昔から変わっていないな」
 リーズだって、とぶつぶつ言いながらも先に進む彼女の後に続く。実際、イヴェットは暗いところが苦手でもあったのだが、本当は気味の悪いこの倉庫に一人にされるのが怖かった。けれどそんなことは夢にも思わないリーズは、ずんずんと歩いていく。時々棚を覘いては、ふんふんと頷いたり、気に入ったものを持ってきた袋に詰め込んだりしていた。彼女は自分の好きなことにだけは、時間も手間も掛けられる人間だ。対してイヴェットはというとリーズの後にぴったりと、まるで影法師のように続いていた。
 棚に溢れ返る箱、箱、箱……多くの物は古惚け、霞み、或いは虫に食われたものも在った。少女二人はその中で、異質に光る物を見つけた。血のように赤黒く光る、つるつるとした箱であった。華奢なリーズが両手で持てるほどの大きさで、蓋には金色に光る文字がある。それは異国の言葉で、二人には読めなかった。読めたのなら、イヴェットが決して開けさせなかったかも知れない。けれど運命の悪戯か、哀れなことに彼女達はそれらが一体何処の言葉かさえも見当がつかなかった。リーズの両親も読めず、けれど調べることも、中身を見ることもせずにこの倉庫、我楽多の吹き溜まりに押し込んでおいたのだ。若い娘等が開けるなんて夢にも思わずに。
 リーズは直ぐ様その箱を開け、中の物を掻き回し始めた。そんな彼女を横目に、この倉庫にすっかり慣れたイヴェットは何か役立つものはないかと――主に幼馴染の勉強に――本の積まれた本を繁々と見つめていた。そして、何から何まで金ぴかの、趣味の悪い本を手にとって目を通し始めた。内容はくだらなく、理解は出来なかったが。イヴェットが他の本に手を伸ばしたその時、
「ちょっと君、見てくれよ、これ」
 ばっとリーズが何かを広げた。イヴェットの目の前は黒に覆われる。「ちょっと、何よリーズ」。
「これ、よく見てくれよ、イヴェット――これ、この部分、多分、血だ」
 リーズの指す布の一部分だけが、少してらてらと光っている。
「きゃっ、何? ……そもそもこれは何なの、リーズ?」
「この箱に入っていたんだ。昔の人が着たローブの類だろう」
 リーズが手にしているのは、先程彼女が持っていた箱である。外は真っ赤で、塗装が持ち上げるたびにぼろぼろと零れ落ちる。その破片を振り払いながらもイヴェットは半信半疑でリーズを見つめた。怖いものは嫌いだが、それ以上に疑り深いのがイヴェット・カステンなのだ。まだ親愛なる幼馴染を見限ったわけではない。
「少し落ち着いて。嗚呼リーズ、貴女は一体何を話しているの?」
 それからリーズは何かを話し始めようとして――その口を噤んだ。どう伝えたものかと言い倦ねているようにも見えた。
「どうしたの? 一体何が――」
 イヴェットの視界の端に、その赤々と毒づくような箱が映った。中には手紙のようなくすんだ紙と、奇妙な、真っ赤な人の顔の描かれた板ような物が入っていた。そして、リーズの持っている布と同じような物が、もう一つ。恐る恐る手に取ると、意外にもずしりと思い。何かが入っているのだ、とイヴェットはどきりとした。
「リーズ、嗚呼リーズ。この中に、何かが入っているわ!」
「きっと歓迎できるものではないだろうけれど、貸してくれ。僕が見る」
 イヴェットは何か言おうとしたが、何も思いつかずにそれを手渡した。それから少し、リーズのいつもと変わらない面倒臭がりの顔を見てほっとした。彼女はがさがさと纏わりつく布を掃い、中にあるそれが何なのかを懸命に見ようとしている。
 何かを見つけたように、リーズの顔色がさっと変わったのがイヴェットには分かった。どうしたの、と声を掛けるのも憚られて、じっと、カンテラの薄ら明かりに晒された、リーズの顔を見る。
「何てことだ、イヴェット。僕の先祖は、外の国から来た曾々々々――祖父は、異教徒だったんだ!」
 え、と状況の掴めないイヴェットに、リーズがまくし立てる。
「祭りを持ち込んだ奴等だよ。ほら、外の馬鹿でくだらない、あの騒ぎ。さっきの布の中には、嗚呼、そのことが書かれた厚い紙の束が在った」
「…………」
 イヴェットは何か言おうとしたが、リーズは傷付いているのか、落胆しているのか、はたまた自分の祖先のことを知って悩んでいるのか――わからなかったので、口を閉じた。どうせ薄っぺらい言葉しか出てこないだろうことは、自分でもよく分かっていた。
 暫く俯いていたリーズはぱっと顔を上げて、そして言った。目を爛々と輝かせて。
「ねぇ君、これを着て、外の祭りに出てみないかい?」
「……え? 貴女は一体何を言っているのリーズ、正気なの?」
 ぽかんとするイヴェットに、リーズは乾いた声で苦笑する。
「正気って、酷い言われようだな。確かにあんな下賎な奴等と同じようなことはしたくないが、ねぇ君、成る程祖先っていうものは大切なんだと思うんだ」
 イヴェットは、リーズの言葉の次に『君にはわからないだろうけどね』と続く気がして、ひとり悲しくなった。イヴェットには自分の家の誇りも何も、無かったからだ。
「ええ、ええリーズ。言っていることはわかるわ。けれど……勝手に外に出たってお父様方にばれたら、怒られるんじゃない?」
「まさか。要は僕等が誰だか、分からなければいいってことだろう? ……辺りを見回してごらんよ」
 辺りには箱、箱、箱……古惚け、或いは虫に食われたその中には。
「カーボン家のお歴々の残した本や、服。……僕が何を考えているかなんて、君にとって当てるのは簡単だろう?」
 イヴェットは溜息を吐いて、辺りを見回した。

 ばたん、と音がした。それはきっと、何かが変わった音だったのだろう。イヴェットは前を行くリーズを見つめた。
 古く擦り切れたズボンに、ぶかぶかで体の泳ぐローブ。そして真っ赤な顔の描かれた薄い板を、紐で丁寧に巻きつけてある。服の端から出る手足は細く、眩しい。髪を束ねて帽子に押し込んだ彼女は、今や町の男の子にしか見えなかった。彼女を幼い頃から知っている、イヴェットにも。
 行き交う人々の間を掻い潜り、二人は駆けていく。何処へ行くの、いうイヴェットの問いにリーズはさあ、と本当に分かっていないような口調で軽く答えた。リーYの引くイヴェットの手は、信じられないくらいに暖かくて、きっとそれは自分の手が冷たいからなのだ、と彼女は思った。
 流石お祭りとあって、町には奇妙な格好をしている人が溢れかえっていた。幾人かはいつものように道端で談笑し、また幾人かは異国の言葉を口にし、互いに笑いあっている。どう考えても、今日の町は異質であった。明日になれば普段のように迎えられるであろう日常も、今は遠すぎて現実味を失っている。現実というのはとどのつまり、何なのか? 今現在の異質な輝きか、それとも、これまで、そして明日からの退屈でつまらない時の流れか?
 何事か、リーズが通りすがった中年の男の元に走って行き、彼に話しかけ、満足したように戻ってきた。「知り合いなの、リーズ?」。
「いいや違う。けれど、これは良いものだね。ほら」
 ぱっと広げた手のひらには、きらきらと光る砂糖菓子。ほら、イヴェットに差出し、自分も月明かりに光るそれを口に放りこんだ。
「……」
 イヴェットが自分の手の内にあるきらきらと反射するものを眺め、それから恐る恐る口にする間を、リーズはじっと見つめていた。イヴェットが掌をぺろっと舐めたのも。彼女の体温で、砂糖菓子は少し溶けてしまったのだろう。
「何、リーズ?」
「いや、君……お行儀が悪いんじゃないのかい?」
 茶化して言うリーズに、イヴェットは「今日だけは特別よ」と拗ねた声で言った。
 沈黙。天使が通るというこの間に、少女二人は何を考えるのだろうか。
「……リーズ」
「なんだい? そんな暗い声を出して」
「ええと……」
 歯切れの悪い幼馴染を見て、こんなこともあるものか、とリーズは不思議な気持ちになった。今日だけ、なのだろうか。
「異教徒、って言ったじゃない。貴女。ご先祖様のこと」
「嗚呼言ったが、まさか君、そんなことで僕を叱る気じゃないだろうね?」
「まさか、そんなことないわよ。私はボーカン家とは関係ないもの。貴女とは幼馴染だけれど」イヴェットの声はいつものように凛としていて、隙がない。
「そう……」
 リーズを眺め、イヴェットは、今日のリーズは本当に、同級生の男の子みたいに感じられるわ、と思った。けれどそれはただの妄想で、幻影でしかない。女子しか集まらない学校に通う彼女等は、男を知らない。
 ゴーン、と低い金の音がなった。もう辺りは真っ暗、けれど街灯は輝き、人影は絶えない。いつまでも異質な空気に酔いしれていたかったが、そうもいかない。両親やメイドが帰ってきたら外に出たことが分かってしまう。明日はもう始まっているのだ。単調で、退屈で、つまらない日常はもう取り戻されている。
 イヴェットが口を開く前に、リーズはさっと彼女の手を取った。
「急ごう」
 昔話宛ら、階段を駆け下りる。繋ぐ手と手の体温はあまりにも違う。けれど、あと少しすれば二人の体温は混ざり合い、変わらなくなるだろう。
「ねえ、リーズ。……明日からは勉強よ?」
「またその話かい? 第一、君の言う明日は、もう今日のことだろう?」
「あらそうだったわ。でも、人生に勉強って、必要なものなのよ」
 聞き飽きたよ、という返事。いつもと変わらない。単調であることに間違いはない。けれど。
 繋いだ手が、唯一つ信じられる現実であると、二人は信じて疑わない。

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