捏造不幸感

 死んでも悔いはない。そう思えるほどの幸福感。それは日常的な平和を少し乗り越えたところにある。平凡な日々の線の上に素知らぬ顔で居座っているようで、実際平凡とは言い難い。明らかに一線を画している。
 穏やかで変化がなだらかなものは安らぎと快さを与える。例えば春の爽やかな風、夏の夜の静けさ、秋の壮大な景色、冬のしんしんと冷える空気。どれも平穏でしかたがない。
 今日、いつものようにまったくもって平凡な日を過ごした。級友は優しく、何の怪我もせず健康に、私は木偶の坊のようだった。いくら楽しくとも、その楽しさは沸き上がる途端に端からぱちぱちと弾け飛んでいった。私は炭酸の抜けて温くなった、甘ったるくべたつくコーラのようだった。それも今日限りの話ではない。いつもそうだ。平穏を求めそれが現実のものになろうと、私はこれ以上ない虚無感に襲われる。
 今すぐにでも暖かい布団にくるまりたい。寝ている間は幸も不幸もなく、無責任に振る舞える。他人に干渉されない代わりに、好き勝手できることの開放感。自由とは、境のないことだ。
 いかなる物質との接触を断ち切ってでも、あの人から逃れたい。それは恥ずかしさでも、徒な乙女心でも、何でもない。ただあの人を得られたことによって、私は完結した。あの人はきっと完結などしていない。怖い。理由なく怖くて堪らない。
 この世の中に生まれたことが憎い。連絡手段などいくらでもある。特定の人との接触を拒むのは事実上不可能だ。逃れることはできない。携帯電話に目をやる。新着メールは三件。誰から来たのか、大体の見当はつく。
 一件は級友から。もう一件はくだらないどこかからのお報せ。そして、最後はあの人から。その名前を見て、目眩がした。
 思わず溜め息を吐く。はっとして息を大きく吸い込み、深呼吸をしたよう取り繕った。辺りには誰もいないにも関わらず。なんとなく、自分が自分に嘘を吐いているのだと、そういう自覚が芽生えてしまう。それでも、私はそれに気づかない振りをする。
『今日はありがとう』
 メールの本文はそれだけだった。何やら可愛らしい顔文字がついていたが。その簡素な文を見て、自然と反射的に、格好良いな、と思った。不意に体が温かな空気に包まれるのを感じた。目に映るもの全てを愛せる博愛主義者にもなれた。
 しかしそれと同時に、思いの端からぱちぱちとときめきは弾けていく。とても卑屈な、自分が思っているとも認めたくないような感情が押し寄せてきて、私をべっとりと甘い液で固めてしまう。
 どうして私にメールなど寄越してくるんだろう。どうしてこんな柄でもない、可愛らしい顔文字なんて使ってくるんだろう。どうして私を受け入れてくれたんだろう。
 それは恥ずかしさによるものでも、徒な乙女心でもなく、冷静に浮かんでくる不信感。
 怖くて堪らない。
 誰が見たって幸福だというのにこんな傲慢なことを考えるなんて、とそんな声が聞こえる。それに私は必死に弁解するのだ。「私はもう完結している」と声を大にして。
 適当な文字を打って、忌まわしい文明の利器を放って、床に仰向けになる。天井の電灯がいやに眩しい。その眩しさに目を閉じるも、暗い視界にはくっきりと電灯の形が浮かぶ。ちかちかと付いて離れない。
 時計の進む音、家にいる他の家族の生活音、外を通る車の音、暖房の風を送る静かな稼動音、それによって暖められた外界とは異なる空気。どれも日常の平穏を構成するもので、いきなり断たれることはない。それこそが平穏であり平和なのだ。
 今はどれも感じない。真っ暗闇の中、メールを受信したらしい携帯電話がぶるぶると震えて動き、手に触れた。
 冷たい機械の感触が、あの人の手のように思われた。いつだって白く冷たい、陶磁器のような手。目を閉じていても想像できる。すぐそこにあるように、頭の中に描くことができる。そうしていると、胸につかえるものがほんの少しばかり軽くなったように思えて、溜め息が漏れた。少し経っても、深呼吸にはしない。まだ視界には光がちらついていた。
 実際のところ、私は参っていた。何が辛いかも分からず、何もかもが辛かった。
 起き上がって、目を開ける。平穏を脅かす元凶の、忌まわしい携帯電話を開く。嫌になるほど可愛らしい顔文字と、そこに並ぶ言葉。親密な文章。辛くて怖い。良いことなんて一つもある気がしない。
 それでも、私は返信を打つ。無理にこちらからあの人を引きはがすのは、どういうわけだか難しい。
 死んでも構わない、そんな幸福感の他にもう一つある。その最中にはそれと気づかず、あとから幸福であったと知るもの。忘れもしない、二度経験したのだ。その時は酷い圧迫感に悩まされるものの、すぐにそれが幸せだったのだと知ることになる。その重圧から、軋轢から、逃れるために死んでしまいたいとさえ思う。世の中に幸福たるものなんて何一つないと信じたくなる。私は甘い役立たずに溶けてしまう。
 しかしこの幸福感に、自覚などはあっては堪らないのだ。だから私は気づかない振りを押し通し、幸福に殺されないように、破綻した論理で自らを武装する。

カテゴリ未分類