水玉癖

※流血・自傷表現あり

 小夜子の細く白い手首に這う赤い糸から、ぶつぷつと血が浮き上がる。程ないうちに幾筋にもなった傷からは、争うように次々に、小夜子の中のものが溢れ出してきて、白いキャンバスを赤い水玉に染める。
「やめなよ」「つらいなら話聞くよ」「そんなことしちゃ駄目だよ」――この状況に相応しそうな言葉ならいくらでも浮かんできた。けれど、どれも言えない。口を開いても、声になって出てこない。
何も思わなかった。何も。
私の目の前で、私なんかいないように、小夜子は薄い銀の刃を手首に当てる。そうしてゆっくりと引く。それを見ていて、私は、小夜子の行動を言葉にして表すことはできても、何も思わない。少しの感想さえ出てこない。「やめなよ」「つらいなら話聞くよ」「そんなことしちゃ駄目だよ」どれも違う。どれも、私の気持ちではない。だから言えない。言いたくない。
真っ青な空の下、遠くに白い雲が見える。地上からはボールを打つ音、大声で叫ぶ声、蝉の鳴き声、夏の喧噪が聞こえる。
小夜子は、水玉模様の腕を見て、少し惜しそうにしながら、その上に赤い舌を這わせた。赤い血の水玉模様は、赤い舌から出てきたみたいに、真白なキャンバスに広がっていく。
小夜子と、ふいに目が合った。
長い睫毛――血の透けて見えるほの白い瞼――真っ暗闇の瞳。見たものの魂を吸い込むよう、というよりはむしろ、襲いかかってくるような闇だ。私はその眼に捕らえられて、ああ、嘘だった、と思う。思ってもいないから言えないなんて嘘だ。思いもしないことだって、小夜子が望むなら何だって言える。
薄い青の床は、太陽の光を受けて熱を持つ。
小夜子はふらふらと体を起こして――けれどしっかりとした足取りで、私に近づいてくる。その口の端は、 ついさっき流れ出したばかりの、まだ赤いままの血に濡れている。私の胸は高鳴った。食事を終えたばかりの獣が、また新たな生け贄を見つけて喜んだように、その瞳に光が灯る。
私は、小夜子より、ちょっと背が高い。見上げるほどの差ではないから、小夜子は顔の角度を変えずに私上目に見る。
――閨を覆うベールの睫毛が、薄桃色の粘膜の淵に覆い被さる――そしてまた開く。その一瞬を、私はただずっと見ていた。
すぐ横にある銀の柵に反射して、鋭い光が私を射る。校庭の木々が、風に揺れて音を立てる。
底から白目に伸びる赤い筋――数秒のうちにまた閉ざされた。小夜子の顔まで、あと数十センチ――私は動けない――十数センチ――数センチ、ゼロ。
唇を重ねる。
――すぐにまた、離れる。
「私のこと好き?」
小夜子の黒くたおやかな髪が風に揺れた。
「うん」
離れて見ると、黒いセーター、黒いスカート、白い肌、白い靴下。モノクロの姿は、現実味がない。赤い血と唇だけが、生きていることの明証だ。
「どのくらい?」
「連理比翼を願うほど」
私は鉄の味のする口を動かして言う。
ふふ、と小夜子は笑った。