氷に熱病

 柚香の冷え切った足が頬に当たる。その冷たさに私はびく、と肩を揺らして、罪悪感とか背徳感とか嫌悪感とか、そんな感情でいっぱいになって気持ち悪くなる。一刻も早くこの場から逃げ出したい。それが叶わないのなら、ここで気を失って死んでもいい。それくらい、いやなことだった。そして何よりもいやなのは、こんなおかしな状況を、私も柚香も、好いているということだった。
 地味で目立たなくて普通の人間のような顔した柚香。でも、いつも教室で見かけるたび、私は胸をときめかせていた。この人は絶対違う、普通の人とは絶対違う。私の欲求を満たしてくれる人だと、根拠のない確信を抱いた。そしてそれは、いい意味で裏切られた。私が想像した以上に柚香はいやな人間だった。それが、たまらなく嬉しい。
 極寒の日に、暖房を切って窓を開け、柚香はコートを脱いで、私に靴下を脱がさせた。一方私はコートにマフラーという格好。それでも寒いから、柚香はもっと寒いだろう。
「温めて」
と柚香は言う。柚香の部屋には椅子が一つしかない。そこに陣取った柚香は、私をカーペットに座らせて、足を投げ出す。温めてと言われても、どうしたらいいかわからない。手で包み込んでみたものの、 冷え性の私の手は部屋の寒さに冷え切っていて、ほとんど温めることはできない。柚香は呆れた顔をして、足を上げた。
 初めてはいつだったかと訊かれれば、それは柚香と初めて言葉を交わした日と言えるし、初めてはまだとも言える。どういうカウントをすればいいかわからないから、これがそういう行為なのか、同性同士は数に入るのか。どちらにせよ、私と柚香の関係は一筋縄ではいかない。
 私たちは多分、自分を傷つけ、相手を傷つけることを楽しんでいる。それは徐々に死に向かっていくことを自覚しながら、やめられない。いやなことだと知っていながら、求めてしまう。
 私達に粘膜の触れ合いはない。太ももを撫でさすったって、その奥へは行かない。そのことが、余計に私にわだかまりを残す。痣の残るようなことをして、殺意を水で薄めたようなことをして、私達は何がしたいんだろう。
「みさと、綺麗よ」
 こういう時の柚香は、いつもと違って高圧的な、高慢な話し方をする。だからこそここには日常とは違う、――永遠があった。儚くいつ終わってしまうかもわからない永遠。どちらがおりるのが先か。どちらが死ぬのが先か。飽いてしまうことは、ないように思われた。少なくとも私は。
 ちらちらと雪が降り始める。寒いなんてものじゃない。柚香は比べ物にならないくらい寒く感じているだろう。私が頬で触れる足は、もう人形のように冷たくなっていた。それでも柚香の顔には紅がさしていく。私はその恍惚の表情を見て、ひどい嫌悪感に駆られる。それは今まで感じていたものよりもずっと強い。けれども私は知っていた。口端を引きつらせ柚香の素足を温めようとする私も、柚香と 全く同じ顔をしていることを。もう、どうしようもなく救えない。私達はどうしてこんな目に遭っているんだろう。
「私には柚香だけ。私には柚香だけなの……」
 心臓の高まりに任せて、状況にそぐわない間の抜けた睦言を私が漏らした時、柚香はふふ、と笑った。
「あら可愛いこと言うのね。けれどねみさと。私にはあなただけではないのよ」
 その瞬間、つけた覚えのない痣が目につく。ももにある引っかき傷も。どうして今まで気が付かなかったんだろう。馬鹿は私だ。
 初めて、悔しい、と思った。そして自分の中にある独占欲に気がついたのだ。私は冴えた目で柚香を睨んだ。柚香は相も変わらずのぼせた顔をしていた。私達の間の温度差を埋めるように、部屋に雪が入ってくる。頭がくらくらする。独占欲はこの場にふさわしくない。ここには罪悪感とか背徳感とか嫌悪感とか、そんなものしか存在を許されていないのだ。ここはここ、そとはそと。柚香が他で何をしていようと私はこの場で口を出せない。
 次にやってきたのは怒りだった。私は黙ってこの環境に甘んじていた。疑問を持たないよう躾けられていた。私は、犬だ。柚香の犬。飼い主にいいようにされてただしっぽをふっているだけで考えない、頭の悪い犬。けれど飼い犬だって主人を噛むのだ。
 私は柚香の足から顔を離して、立ち上がる。柚香の顔を正面から見つめる。私はこの世界を壊すために、柚香の息の根を止めるために、キスをする。柚香の華奢な肩を掴んで、舌を絡める。いつも冷たい柚香の身体だけど、口の中は暖かい。それを知ってしまったら、もう、戻れない。