特別になりたい私の傷つかないだけの恋

「女の子同士の恋愛なんて」とかいうことを、思ったことは一度もない。私がトモミを好きなことは世界でいちばん素晴らしいことだと思うし、私はトモミを好きになったというだけで幸せだ。恋愛の相手が女だからだとかいう理由で、その恋愛が不幸なもの、あってはならないものだと決めつけられてしまうのには心底、腹が立つ。
 そもそもこれが「本当」の「好き」ということなのかは、わからなかった。唯一無二の親友。女子校という閉鎖的な空間。思春期。あるひとは「思春期にはよくあること」と言う。そういう言葉が、それこそ思春期の子供の心を逆撫でする。私たちは、自分をもっと確かな存在にしたい。風が吹くだけで揺らめく蝋燭の火のような危うい私達ではありたくない。特別でありたい。誰かの特別に。自分自身の特別に。普遍的に絶対的に、特別な、ただ一人の、私に。けれどこの地には数えきれないほど多くの子供という子供がいて、みんな同じようなことを思っているのだ。「君くらいの年齢の子には珍しくない悩みだよ」「つらいのはみんな同じだ。大人になったら忘れるから気に病む必要はない」―― そういう言葉に、私たちは傷つき、傷つくからこそ、自分がただ一人の私でありたいことを自覚する。
 こういうお話を、物語を、なぞって私は生かされている。

「本当に君たちは仲が良いね」と幼いころからよく言われた。私とトモミは母親同士が友達で、それなりに近所に住んでいて、学校も同じで、よくある幼馴染だった。大人がこういう台詞を口にするとき、彼らの目は必ずトモミに向けられていた。いや、もう十年以上も前のことだから確かな記憶ではないかもしれない。けれど、私はいつもそのように感じていた。そして、それを至極自然なことだと認めていた。
私は、引っ込み思案で、あまり喋れなくて、お風呂に入るのも髪を梳かすのも嫌いで、よく泣いて、よく転んで、「可愛い子供」ではなかった。一方トモミは「可愛い子供」だった。もしくは、「可愛い子供」を「演じていた」。これは私の勝手な妄想に過ぎないけれど。トモミはかんぺきだった。幼い子供のあどけなさを残しつつ、楽しげに遊んで喋って、うまく甘えて、うまく間違えた。私とトモミが並ぶと必ずトモミの方が愛されて、褒められて、構われた。これは紛れもない事実で、それを証明するようなエピソードもいくつかある。それを聞いた友達は「嫌じゃなかったの?」「トモミってひどいね」などと言って私を気遣ってくれたが、私はむしろ、感謝しているのだ。もともと人好きに生まれなかったら人とうまく付き合っていくことなどできない。世渡り下手は死んでも治らない病だ。トモミは私が大人と対峙するのを防いでくれた。大人の視線を私から逸らしてくれた。それは私の自惚れた解釈かもしれない。じっさい、小学校にも上がらない子供がそこまで気を回すとは考えにくい。それでも、トモミの「演技」は、私を救ってくれた。
 どうして恩人の好意を「演技」だなんて形容するのか――なぜって、それは、トモミは私が知る限り世界でいちばん裏表の違いのひどい人間だから。

「トモミが好き」と、呟いてみる。家で。学校で。画面の中で。壁に向かって。本人に向かって。すき、と口にするとその言葉の陳腐さに驚く。軽さはあまり感じない。けれど、私の言いたいことはこの言葉では表せていない、と思う。私がトモミに好きと言うとき、それはいわゆる「家族愛」のような、生暖かい、こそばゆい、押しつけがましい、ぬるま湯に浸ったような響きがする。違う、そうではないのだ。これは信仰であり、思想であり、哲学なのだ。容易く人には触れさせない。議論には体力を要する、高級な問題。なんて、気取ってはみるけれど、じっさいには趣味や日課のようなものだった。日々の生活に組み込まれていて、それがあるから頑張れる。
 普段の日常で、「一緒にご飯食べよう」「一緒に帰ろう」といったことは口に出さずとももう当たり前。なんなら放課後どちらかの家に寄ることや、休日に一緒に外へ出かけることも少しも特別ではない。私は幼馴染という立場に感謝して、それからトモミが女であること、自分が女であることに感謝した。いくら幼馴染といっても「思春期」の男女がこう毎日べたつくことはできなかっただろう。私は自然な付き合いの中でこれ以上ない幸福を手に入れられるのだ。
 それが「本当」の幸せなのか、はたまた私が「選び取った」幸せなのか、時折その問いが頭をよぎり私は悪夢にうなされる。

「人が傷つくのを見るのが好き」と愉悦に満ちた表情でトモミが言ったとき、私には少しの驚きさえ起こらず、それどころか「私はこのために生まれてきたのだ」という思いが起こった。トモミ、私を見て、見ないで。人と同じようになんか見ないで。私だけを見なくていいから、私だけを特別に見て。
 どういう形であれトモミが私を特別に見てくれる、というだけで、私はたった一人の私になれるのだから。

「あなただけに言うのだけれど」というのは良い内容であっても悪い内容であっても大抵いい方向には転ばない。けれど「あなただけ」という言葉の持つ魔力によって、私はそれを拒絶する力を失う。内容を知ることは重要ではない。どうせ「あなただけ」と他の大勢にも言っているのだから。重要なのは私が「特別に」その話を知った、ということなのだ。特別でありたい私たちも、こんな面倒な「特別」には目を輝かせない。
 とはいえ、この厄介な言葉を発したのがごく親しい友人、それも真面目で頑固で御しがたい友人だった場合、私は少しばかり胸をときめかせる。今日はそうだった。そして彼女の隣で表情を殺して佇んでいるのは、いつもは喧しい友人である。私は逸る心を抑え、黙って次の言葉を待つ。何か滅多なことを言って気を削いでしまってはたまらないから。平生から無愛想な方の友人が口を開いた。私は邪魔をしない程度の相槌を打ちその話を聞く。「あのさ……」「うん」「言いにくいのだけれど……あっ、言いたくないってことではなくて」「うん」「あのね、ええと、……引かないでほしいのだけれど……」「うん」「こんなの変って、言うかもしれないけれど」「うん」「けれど、本気で」「うん 」「認めてもらえなくても良いけれど……やっぱりそれは悲しいけれど」「うん」「でも、自由だと思うし」「うん」「ただ、知ってほしくて。知っておいてほしくて」「うん」「私」「うん」「……私たち」「うん」「付き合うことになったの」。
 私はこのとき初めて知る。私の胸をざわつかせていた不安の種を、それがどこからきているものなのかを。

「トモミ、なんだか最近機嫌が良いね」と私は思ったままのことを口にした。近頃のトモミはただでさえ可愛らしい丸い顔をにこにこと緩ませていて、廊下を渡る足取りが軽い。トモミを好きな私はトモミが嬉しそうなのを見ると、幸福感でいっぱいになる。いっぱいになる、いっぱいになるのだ。私は空虚ではない。中身の伴わない、条件のセットではない。トモミがいるだけで、私には価値が生まれる。トモミを思うことで、私はたった一人の私になれる。私はトモミが好きだ、愛している、恋している。だから私は特別だ。私にとってトモミは特別で、だから、私も。
 トモミが何を考えているのかはわかる。それは今までトモミと過ごしてきた中で得た経験を組み合わせて、トモミの思考方法をトレースしているからだ。けれどそんなことをせずとも、トモミには人の考えがわかる。というのは、買いかぶりすぎかもしれない。私は読心術を信じているわけではない。だから、トモミが人の心をわかるというのは、先に人の考えがあってそれをトモミが読んでいる、ということではない。そうではなくて、トモミが思った通りに、人が考えを持つようになる、ということだ。その方が余程お伽噺だ。けれど私は漠然とそう信じている。私がトモミを好きになったのは、トモミがそう仕向けたからだ。などと、馬鹿らしいと思いながらも。
 トモミが喜ぶなら、私は口を閉ざしたまま死んでもいいと思っていた。けれど、それはトモミのためではなく、私のためなのだ、自分のためでしかないのだ。

「好きな人いるの?」という言葉を今まで何回耳にしたことか。しかし最近はめっきり聞かなくなってしまった。その手の話を得意としない人種を友人に持っているからか、あるいはここが守られた空間だからか。
 女子校。中にいれば夢も何もない世界だ。お嬢様なんてどの口が言ったものか。お姉様なんて聞いたこともない。それらはすべてフィクションの中の「女子校」だ。けれど、おそらく私は人よりもこの言葉にとらわれている。自身は一切の男との関わりを断ち、相手も男を知らないと前提にしている。本当はそんなことはありえないことを、確かに知っているのに。
 けれどトモミは私と同じく、四年間同年代の男と話していない。

「ねえ、知っている?」――いいえ、知らない。聞きたくない。思うことは口には出せない。トモミは共通の友人の名前を二つ挙げて、私の反応を窺った。それはこの前秘密の仲を告白してくれたあの二人だった。トモミは本人たちから聞いたのか、あるいは噂で知ったのか。あるいは、とまた馬鹿げた妄想が頭をもたげてくる。私はそれを振り払うけれど、その間にトモミはもう私の心を決めている。「知っているんだね」、私は否定する言葉を持たない。トモミは手放しに二人を祝福していた。「女の子同士なんて」と言うこともなく。それが私には辛かった。けれど、私がそういったことを尋ねれば、自らの関心を晒すことになる。訊きたい、訊けない、訊きたいと気づかれたくない。

「女の子同士の恋愛ってどう思う?」とトモミは私に訊くのだ。答えなんて知っているくせに。私は特別じゃない、ありふれた子供だ。誰にとっての特別でもない。ましてやトモミの特別であるはずがない。それを私は知っていた。知った上で、トモミを好きだった。トモミが一生私を見ないことを知っていて、だからトモミを好きだった。この気持ちはトモミが私に仕向けたものだと思い込んで、自分を特別だと錯覚して、自分が傷つかないようにするために。
 だから私はこう答える、女の子同士の恋愛なんて――「心底気持ち悪い」と。

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