狂科学者はアンドロイドの夢を見るか

アンドロイドは人間を殺せない。
 アンドロイドは嘘が吐けない。
 アンドロイドはジョークを知らない。
 この三原則に、さらに「アンドロイドは自分がアンドロイドであることを知らない」を加えよう、と提案してしまったがために、ドクター・モノマは所属する学会から排斥されてしまった。

 日曜の穏やかな昼下がり、外の天気も知らずにドクター・モノマは研究に熱中していた。彼女は窓一つない《白い立方体(キューブ・シュガー)》に住んでいるから、外で何が起こっていようとも知る由はない。それに、そもそも関心がなかった。
「博士、お茶をお持ちしました」
 全長約一・六五メートル、質量五十キログラムの東洋風の外見をした少女は、ポットとカップ二つを載せた盆を器用に片手で支えながら、ノックもなしにドクター・モノマのドアを開いた。彼女はドクター・モノマと同じようにシャツの上に白衣を羽織っていた。
「相変わらず眠たそうな顔をしているな」
 パーソナルスペースが極端に狭い、人間嫌いのドクター・モノマは、しかし彼女には何も言わない。やりかけの仕事をそのままに、椅子を引いた。
「ええ、もう三日は寝ていませんもので」
「嘘をつけ、嘘を」
 この少女――スミレは、この研究所でドクター・モノマのアシスタントをしている。その仕事は広範囲に及び、甲斐性のないドクター・モノマの身の回りの世話から、実験の準備、果ては眠れない夜の寝物語まで。
「本当のことです」 
 スミレはあまり感情を表に出さない方で、真面目な顔で淡々と紅茶を淹れている。その様子を見て、ドクター・モノマは微笑ましい気持ちになり少し広角を上げるも、これでは所長としてアシスタントに示しがつかない、と口元を引き締める。しかし人とのコミュニケーションを徹底的に拒絶しているドクター・モノマの口筋はすっかり凝り固まってしまっていて、傍目にはもごもごと口を動かしているようにしか見えなかった。
「……博士、何をにやにやしているのですか」
 しかしスミレにはわかったらしい。ドクター・モノマは決まり悪そうに、なんでもないと早口に言った。
「どうぞ」
 少し音を立ててカップを置くスミレの指は、持ち手を掴まずに直にカップに触れていた。ドクター・モノマはそれを見て、
「……熱いだろう、君」
「ええ。八十五度ありますから、熱いでしょうね」
 目を伏せて、スミレは自分の指を見た。しっとりとして指紋すら見えないような、少し黄味がかった肌が特徴的だ。
「まったく、気をつけてくれよ、君。
 それとソーサーを注文しておいてくれ。これと揃いの。ああ、これでは飲んだ気がしないんだ」
「ええ、けれど博士、あなたあれを何度割ったか覚えておいでですか」
「二二〇回、合計二八四枚だったかな」
「ええそうです。そして、もし私が昨日のうちに注文しておいたなら、それは今二二一回目になっていました。博士はおっちょこちょいですからね」
「……まあ君、座れよ」
「はい」
 スミレは椅子の背に手を掛け、ゆっくりと引き、空いた空間に腰から体を押し入れた。その様子をドクター・モノマは瞬きもせずに見つめた。あるいは、観察していたと言ったほうがいいかもしれないような目つきだった。
 一口紅茶を啜り、
「懐いてくるアンドロイドがいたとして、君、殺せるかい?」
 ドクター・モノマは表情も変えずに、今日の外の天気を訊くくらいの気軽さでスミレに問いかけた。スミレもスミレで、「はい」と直ぐ様返した。
「はい、殺せます」
 アンドロイドはただの機械だ。どれだけ人間に近くとも、その中身はただの記号の羅列に過ぎない。アンドロイドを有する市民に「あなたの家のアンドロイドを殺せますか?」と街頭調査でもすれば、そのほとんどがスミレと同じ答えをするだろう。
 ドクター・モノマはしかし少し眉をひそめた。
「情けも何もないな」
「だって博士は私を殺せるでしょう?」
 いくらマッドサイエンティストのドクター・モノマと言えども、そんな質問を他人から受けたのは初めてのことだった。しかし冷静に、普段通りにすれば考えるまでもなく答えは明白だった。
「……殺せる」
「それと同じことです」

 アンドロイドは人間を殺せない。
 アンドロイドは嘘が吐けない。
 アンドロイドはジョークを知らない。
 アンドロイドの製造において、この三原則を破るようなものは絶対に造られない。多くの製造元は信頼の置ける研究者から買い取った構造を使っている。それは例えば、グリッグ製、プロント製、そしてモノマ製のものなど。
 そもそも、アンドロイドが嘘を吐けないのは倫理的な問題ではなく、むしろそれ以前に技術的な問題である。嘘を吐くというのは、人間が思っている以上に難しい。自分の保身のために事実にないことを言ったって、それは事実との矛盾であり嘘ではない。
 同様にまた、自分がアンドロイドである、ということを自覚させないのは難しい。ロボットならいざ知らず、アンドロイドは限りなく人間に近い、というのが売りなのだ。自分が何者か、という問いを持ちうるし、人間の身体との違いも認識してしまう。だから「アンドロイドは自分がアンドロイドであることを知っている」などという原則を強いる必要もなく、アンドロイドは自分がアンドロイドであることを知っている。これは嘘をつくのと同じく技術的な問題だ。

 ドクター・モノマは誰より一番自分を愛していたし、誰より一番自分のことを知っていた。今更、自分はその気になればスミレを殺せるのだと気がついた、なんて間抜けなことはない。
 ドクター・モノマは協会から追い出されて以来、ずっとこの《白い立方体》で過ごしている。毎日毎日微笑みながら、尊大な自信のもとでスミレのことを見ていた。
 ――ああ、ああ君。
 ――君は、自分がアンドロイドだと気づいているのか?
 いくら人への気遣いに欠けるドクター・モノマでも、そう面と向かって言うことはしなかった。いいや、言えなかった、という方が適切だろう。
 ドクター・モノマは無害な人間を訳もなく殺せるほど人間嫌いを拗らせたマッドサイエンティストなわけではない。少しの間でも彼女と暮らしてみれば、それはすぐにわかることだった。
 スミレが、自分がアンドロイドであると知った上で平然とドクター・モノマの助手として過ごしていたとしたら、彼女は自分を造ったのがドクター・モノマだと気づいていただろう。そして、ドクター・モノマが自分を人間のように扱っている、というおかしなことにも気づいただろう。
 ドクター・モノマは自室にこもり机に向かった。自負と自信を忘れずに。

「博士、なにかお飲みになりますか――博士?」
 ドクター・モノマは部屋の隅の書類の束にもたれかかり、眠っていた。あれから三日三晩、彼女は寝ずにいたのだった。
 スミレは起こすか否か、少しの間逡巡し、起こさないことに決めた。その方が良いだろう、そう判断したからだった。勿論、それはドクター・モノマにとっても、そして自分自身にとっても。

「ちょっと部屋へ来てくれ」
 台所で洗い物をしていたスミレに、ドクター・モノマは声をかけた。
「今お茶を淹れようと思っていたのですが」
「君はお茶ばかり淹れているな。そんなに好きかい」
「ええ。博士ご所望のソーサーも揃えましたよ」
「……悪いが話は後だ。私の部屋へ来てくれ」
 スミレは怪訝な顔をした。
「何ですか、急に……」
「いいから」
 台所からダイニングを通り、白く長く続く廊下へ出る。二人揃ってここを歩くのは、スミレがこの《白い立方体》に来た日以来のことのように思われた。
「入って」
「はい」
 スミレはいつもお茶の時間に声をかけに来はしたものの、こうして突然招かれると何か違った意味があるように感じた。
 ドクター・モノマの部屋は、スミレが先程来た時とは様子ががらりと変わっていた。ドクター・モノマが普段寝ているベッドの上は中央がぽっかりと空き、そのまわりにはコードや紙の束、工具が置かれていた。
「博士? 何のご用でしょうか」
「わかっているんだろう、しらばっくれるなよ」
「どうしたのです」
「……まあいい、君がそういうつもりなら……。そこのベッドに横になってくれ」
 スミレはベッドを振り返った。
「マッドサイエンティストと謳われる博士にも、こういう趣味がおありで?」
「ああそうだ、どうでも良い。君、黙っていてくれないか。手元が狂うのが怖いんだ」
 ドクター・モノマは、スミレの肩を掴み、半ば強引にベッドの上に押し倒した。
「……」
 ドクター・モノマは人間には全く興味がなかった。押し倒されてきょとんとした顔のスミレを見て、胸の底で何かが疼いた。
「……最後に、言うことはないのか?」
「最後とは何でしょうか」
「最後って、最後だよ。君、まだしらを切るつもりか? この周りのものを見れば、何が起こるかわかるだろう」
 紙の束は、スミレの設計図だった。
「私は詳しくないのですが……博士は、工具とか、こういったものをお使いになるのがお好きなのですか?」
「何を言っているんだ。ふざけるなよ」
「……一晩あけて、目が覚めたら、今とは違う私、ということでしょうか?」
「ああ概ねそうだ。しかし君、さっきから下品なことばかり言うな。ジョークを教えた覚えはないが」
「……博士が研究に没頭している間、私にも色々もあったのですよ」
「色々って?」
「秘密です」
「……」
「あら、怒らないでください。そうですね、では明日の朝言いますから」
「……そうか」
 ドクター・モノマはスミレの太ももに手をかけた。アンドロイドの解体のための構造は、太ももの付け根にあったのだ。これはドクター・モノマがマッドサイエンティストであることを差し引いても、悪趣味が過ぎた。
「……博士」
「なんだ」
「純粋な私の、『最後のお願い』を聞いていただけますか」
「ああ、勿論――何だい」
「キスをしてください」
 スミレは少しの恥じらいもなく、ドクター・モノマが割ったソーサーの数を数え上げるように言った。ドクター・モノマは一瞬目を見張り、暫くして「わかった」と応えた。

 ドクター・モノマは、スミレの唇に自分のそれをゆっくりと近づけていく。スミレの薄く色づいた唇は、触れてみると、見た目の通りしっとり、さらさらとしていた。それと同時に、ドクター・モノマはスミレの無線式バッテリーとの同期を解除する。スミレ内部の非常用バッテリーは、この三日間のうちに使い切っておいた。
 何の音もせず、前触れもなく、スミレの生命線は断ち切られ、彼女は目を閉じた。まるで眠っているようで、まるで死んでいるようだった。ドクター・モノマは顔をしかめて彼女の体を見下ろす。電源の切れたアンドロイドは、ただの機械か? それとも、他の何かだろうか?
ドクター・モノマは部屋を後にした。

 幼い頃から天才と言われたドクター・モノマも、今まで失敗がなかったなどということはない。失敗は成功への道であり、実験や研究に失敗はつきものだ。しかし、スミレについては違った。――これで完成だ、成功だ、彼女はアンドロイドの自覚がないアンドロイドだ――そう思い、そう接し、そう触れてきたスミレは、自分がアンドロイドであることを知っていた。これが失敗だ。未来へ繋がることのない、許されることのない失敗だ。そうでなくて他に何なのだろう。
ドクター・モノマはとてつもない虚無感に襲われて、頭がくらくらとして、吐き気までしてきた。目の前が霞んだり、暗くなったり、ちらちらとして、柄でもなく逃げ出したい思いに駆られた。
 ドクター・モノマは、許せなかった。
『博士が私を殺せるように』とスミレは言ったのだった。アンドロイドは嘘が吐けない。自分の根拠には、論理には、嘘が吐けない。自分がアンドロイドなのではないかという疑いから出た言葉を、ドクター・モノマは肯定した。その時、スミレの疑念は、確信のものになったのだった。
 ――君、いつからだ? いつから自分がアンドロイドではないかと思い始めた?
 今まで当然のように自分を人間だと思っていた少女が、もしかすると自分はアンドロイドではないか、などと思い始める心境とはどのようなものだろうか。気が狂ってもおかしくない。そんな精神状態で、自分を造ったらしい、自分を人間だと信じさせているらしい博士と四六時中共に過ごすとは、どれほどのことだろうか。
 ドクター・モノマの、もう半分枯れ川になっていた涙腺はまだ息を潜めていたに過ぎなかったのか、ゆっくりと活動を開始したらしい。ドクター・モノマの頬には涙がつたっていた。
 ――ああ、私は失敗し、その上それに気づきもしなかったのだ……。
 しかし人間嫌いのマッドサイエンティスト、ドクター・モノマに自分を人間だと思い込んだアンドロイドの心境を気遣うようなことはできなかった。
 ただ、彼女の頭は、心は、失敗した、という事実でいっぱいになった。
 ビー、と遠くから音がした。アンドロイドの構造の再構築が終わった合図だ。
 ドクター・モノマは力なく立ち上がる。スミレの記憶は書き換えられ、抹消され、保持されてはいない。今までの失敗などなかった。これからドクター・モノマは、初めてのアンドロイドを迎えるのだ。そうに違いない。

「博士」
 無機質な《白い立方体》の白いドアの隙間から、端正な顔の黒髪の少女が現れた。
「ん……、ああ君か」
 腰まで届く亜麻色の髪を高いところで二つに結んでいる少女は、椅子に座ったまま寝ていたようだ。眼鏡を外し、目を擦り擦り振り向いた。
「……寝ていらしたのですか」
「ああ」
「夜眠れていないのですか? 今はそれほど重要な仕事はなかったかと……」
「……ああ。夢見が悪くてな」
「では私が夜にはお話をして差し上げましょうか? 眠くなるようなお話を」
「そんなの知っているのかい、君」
「ええ。歌でも構いませんよ」
「ああ、頼もうか」

 アンドロイドの製造・改造に関して義務付けられた諸報告を、ドクター・モノマは初めの一度しか行っていない。完全に孤立したこの《キューブ》内の出来事は、彼女が黙っている限り外には伝わらない。そしてドクター・モノマが、スミレのそれまでの一切の記憶を消して、設計図をも抹消していたのなら、それこそその事実を知っているのはドクター・モノマだけということになる。ドクター・モノマはその卓越した記憶力で、いつ、何回、どうやって、スミレを造り変えたかを覚えている。忘れることができないのだ。しかしそのことを事実と受け止めつつも、彼女はいつでも『初めてのアンドロイドである』スミレに接している。
「では……そうですね、何にしましょうか」
「夢物語なんてもう随分と聞いていないな。歌の方が気分だ。だけど君、子守唄なんてやめてくれよ」
 スミレは少し考えて、ゆっくりと静かに歌い出した。
 ドクター・モノマはベッドに仰向けになってその歌を聴いた。スミレはサイドテーブルの前の椅子に腰掛け、肩を僅かに上下させて歌った。
「……何という曲だ」
「『人形の夢と目覚め』です。博士もメロディはご存知でしょう?」
 ああ、と頷いて、ドクター・モノマはじっとスミレを見つめた。
「何でしょうか」
「君、一緒に寝ないか」
「あら」
「何だ、嫌なのか?」
「いいえ。失礼します」
 スミレは躊躇なくドクター・モノマのベッドへ潜り込んだ。ドクター・モノマのベッドは二人で寝るには快適とは言い難かったが、それほどの問題もではなかった。
 ドクター・モノマとスミレが二人ぴったりと並ぶところは、少し奇妙に見える。どちらも少女の外見だが、ドクター・モノマは西洋、スミレは東洋の雰囲気があり、年齢も見て取れない。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
 ドクター・モノマは壁へ手を伸ばし、部屋の電気を消した。暗闇で、ドクター・モノマの呼吸の合間に、スミレの寝息が聞こえた。ドクター・モノマはそれを一つ一つけして聞き漏らさないようにして、自分もそのテンポに合わせて息を吐いた。やがて二人の呼吸が混ざり溶け合って一つになった頃、ようやくドクター・モノマは深い眠りについた。

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