Black Sheep

 黒羊は突然現れる。ふわふわの毛に包まれて、硬い蹄で地面を蹴って、気がつけば隣にいる。めえめえと鳴いて、いたって愛らしく寄り添ってくる。温かな肌を押し当て擦り寄せまためえと鳴く。そうして次に目が覚めた時、私の中身は滅茶苦茶になっている。

 初めてその存在に気がついたのは、去年の夏だった。思えばそれよりも前から、彼女が感情的になった時の振る舞いには少しの違和感を覚えていた。そういう時の彼女はいつもの冷静さを欠いていて、どうにも子供っぽく感じられた。いたいけとも、無邪気とも、やんちゃとも言い表せられるような、全ての要素を包括した子供っぽさだった。
 始まりはいつも突然。何がそのトリガーとなって幼稚な情動の扉へとドミノ倒しに雪崩込んでいくのか、それは誰にもわからない。彼女にとっての幸福も、不運も、何気ない言葉の一つだって要因になり得る。彼女の子供じみた態度は、単なるわがままな不機嫌ではなく、またつらいことを窓から外へ投げ出そうとする軽薄さとも異なって、プラスの感情をも得ているからだ。
 それまでどうして私が彼女に気がつかなかったかというと、初めのうちはその問題となる「彼女」の年齢と、彼女の肉体年齢のずれが許容されうる範囲内だったからだ。感情任せの彼女はほんの少しの幼さを含んでいるというくらいのもので、とりわけ不信感を抱かなければならないほどおかしくはなかった。一方平生の彼女の精神年齢は肉体年齢を上回っていたが、それも誤差の範囲と言うべきもので、特異的なことではなかった。少し大人びたただの少女、というだけだった。しかし私が「彼女」を認識した去年の七月、彼女らのずれは見て取れるほどになっていた。
 随分と込み入った話になってきて、理解が追いつかない諸君もいることだろうと思う。私だって人称代名詞「彼女」の使い分けに明るいわけではない。ここで、最近擡頭してきた彼女をα、平生の冷静な彼女をβと呼ぶことにしよう。
 αはβに持て余されている。その上、周りの人間からも鼻摘まみ者にされている。αが何故存在しているのか、その存在に確かな意義が見つからない。βは持ち前の複雑に発達した論理体制を全力投入して、パイを切り崩すようにαの存在を端から攻めていっている。定めた基準と照らし合わせ、計画路線から外れたものを排除するだけだ。αの理論がβに勝つことなどアリストテレスがとうとうと話すのと同様ありえないから、αはじわじわと壊されていくしかない。βの論理はαを異物として捉え、自己矛盾をなくすために必死でαに向かっていく。しかしαが跳び回る情動と言う名の海は広範囲に及んでいて、波に抗い鎮め押し進んでいくのにはどうしたって時間がかかる。βの中枢が論理なのに対してαの中枢は情動であり、また厄介なことに、αはころころと主張を変えることになんの躊躇いを持たない。矛盾も不整合も意に介さず、いとも容易く軸をずらして論理を翻す。
 αは本能のままに。βは自身が構築した論理に従って。この両者がわかりあえることなど一生ないに違いない。
 βはαの存在に焦り、必死で抹消しようと努めていることは前述の通りだが、その一方、αはβの存在を知らない。両者は対話の機会を持ったことはなく、αがβを認識できる日などきっとこないから、やはりこれからもαはβに気づきはしないだろう。
 昨年七月、私が初めて発見したαを象徴するものは、野性的な叫び声と、その暴力性。玩具が手に入らなかった子供のように不満を雄叫びとして発し、目を潤ませ、掴みかかっていく彼女。とてもまともとは言い難かった。とてつもない熱気を孕み、狂乱し、まるで獣のようだった。
 暫く私はその様子を呆然と見つめていたが、その後、ぱちんと電球が切れるように、突然熱を失うように、αは消え、そこにはいくらか疲労した肉体と本来あるべきβの意識が残った。
 αとβを引き受ける肉体Aの呼び名をレジーナと言う。レジーナの意識は普段βに拠っているが、しばしばαに支配権を奪われる。
 その、私がαの存在に気がついたある夏の日のことをもっと詳しく話そう。レジーナはその時、教室にいた。学生である彼女はその同級生と話していた。αが現れるほんの少し前のことで、勿論レジーナの意識はβだった。穏やかな談笑の最中、何がきっかけだったのか、レジーナは突然叫んだ。
「」
 これが正にαの初登場のシーンで、βはすぐに意識の底に埋められたのだろう。βは何者かが自分の体を動かしていることに気がついたが、彼女はどうすることもできなかった。ただαの第一声を聞いて、自分はこんな声が出せるのかと、感心を含んだ驚愕につきっきりだった。
 それからβの思考能力は奪われ、ただαの為す様を目を見開きしかと見ているしかなかった。彼女の泣きわめくところ、筋の通らない目茶苦茶なことを言うところ、全て瞬きすることさえも許されないように、ただただずっと見つめ続けていた。
 落ち着いたレジーナは、子供のようなレジーナへ。その変化を目の当たりにして、βは気が遠くなり、そしてからっぽになってじっと観測をした。まるで夢のかたまりのシュガー・ポットがまるっきり空になってしまったような、そんな空虚さ。現実とも夢ともつかない、頭がぼうっとしてなんの感触も得られない心地。
 βがはっと気がついた時、レジーナの肉体は教室棟から随分と離れた用具室にあった。狭い部屋にプリントやらファイルやら大きな定規、プロジェクター、果ては使い古された教卓まであり、酷く雑然としていた。埃っぽい空気を吸いながら、肉体Aは扉を背にしゃがみこんでいる。その時意識からはαは追い出されていて、レジーナの手は冷や汗いっぱいで、頬は涙に濡れていた。試しに少し声を出してみると、涸れてざらついた声が出た。魔女に美しい声を奪われた人魚姫のように、大切な何かをなくした醜い声だった。
 ――なんだ、これは。
 冷静沈着、思考能力の高いβも、流石に驚きを隠せはしなかった。
 「なんだ」だなんて、そんなの決まっている。見ていたのだから。瞬き一つ許されず見ていたのだから。自分自身がまるで違う人のように動き、振る舞うさまを。子供のように、獣のように、泣き叫ぶところを。
 とりあえず落ち着こう。βはそう自分に言い聞かせ、平静を装い状況の整理に努める。自分の知らない何か幼いものが、自分に入ってくるその感覚、それを彼女は大変恐ろしいものに思った。
 βは持ち前の論理構成、いや論理攻勢を生かして、少しずつαを追い詰めていった。どうにかそれを埋め殺せやしないか、そう思って策を練っていった。そしてすぐにそれが困難なこと、一筋縄ではいかないということに気がつき、無駄な抵抗を諦めた。それは懸命な判断だったと思う。必要のない消耗ほど愚かなことはない。
 しかし一つだけ、βにも譲れないことがあった。βにあってαにないもの、それは人間関係。
 人間関係が蜘蛛の巣よりも複雑なのは明らかで、それはなんの規則性もなく、地球上で有機生命体が紡ぐものとしては少しおかしい。有り体に言えばそれは社会的な存在証明というべきもので、βの論理の及ばない唯一のものとも言えた。
 ともかくも、βはなんとかして自身の構築した、生きた証と言える人間関係を守ろうと試みた。それまでの苦闘でわかったように、αの制御は不可能に近い。人といる日中ずっと彼女を管理することはできない。背に腹は代えられない。βはすぐに対αの方針を決めた。
 ステラの存在しうる範囲内では、αを封じ込める。
 なんとしてでも、手段を選ばず。β――その時点ではニアリーイコールレジーナ――には敬愛する人物ステラがいた。ステラはレジーナの姉の友人で、しばしば家に来てはレジーナとも話すことがあった。
 今まで散々ふれてきたように、αは情動のかたまりのようなものである。それが腹の中にぽつんと生まれた白い石っころみたいなものならまだ良いが、意志を持って暴れ回り内壁を目茶苦茶に壊してしまうものだから目も当てられない。
 そう、αに意志があるということを利用するしかない。βはαを追いかけ回して肩を上下させながら思った。
 ――交換条件を出そう。
 罰を与えよう、とは考えなかった。αの性質を考慮し、自らの守るべきものの重要性を見て、考えられる最も良い妥協案だ。もうこれしかない。
 αは野性的に暴れる。人間関係とか、倫理感とか、まして気遣いなんてあるはずもなく、荒れ狂う。それがαにとっての存在意義であり、また快感だ。βがαに与えうる飴というとそれの他にない。
 βは逡巡した。論理に縛られるβとしては珍しく躊躇い、決断には時間を要した。しかしぐずぐずもしていられない。そうと決まればすぐに、βはαに肉体Aを貸し渡した。
 二度目のそれは作為的で、あまりうまくいったとは言い難い。しかしαは現れ、レジーナの体の中は暫くの間混乱に陥り、ごった返し、嵐の過ぎ去った後、βの意識は失われた。
 ぐちゃぐちゃと、昂揚感。レジーナの顔は笑顔にあふれているに違いない。それをβはなんの感情を持つこともなくただ観測させられ、αの入った肉体Aが暴れるところを観測し、観測し、αは暴れ、暴れ、暴れ――ある時βの意識は完全に飛んでいき、気がつけばβは己の肉体Aが自室のベッドに横たわっているのを発見した。酷い疲労感が襲い、αがこれでもかと全力で暴れていたことを知覚する。どうやらαは心行くまで暴れられ、満足したらしい。
 ――交渉成立だ。
 βはそう思い、天井をぼんやりと見つめ、疲れた体をシーツに埋めた。
 その後αとβの入れ替わりは順調に行われていった。βの管轄の下、ステラの前にαが出ることはなく、また、予想外の場所での出現もなく。それと並行してβはαを観測し続け分析し、解体は続いていた。

 黒羊は私の心を踏みにじり、着実にひびを入れ、蝕んでゆく。外傷が残らない分質が悪い。誰だって私の心の中の変化を見て取ってくれやしないのだ。外は艶やか赤林檎、中は腐ったラットゥン・アップル。それでも林檎は売れるのだ。黒羊はめえと鳴く。優しい目をして傍にいるのを見れば、憐れみをかけずにはいられない。油断したら最後、もう戻れない。

「あっはははははははは!」
 劈くような、狂喜に満ちた笑い声。口元が緩み、目はよく見えず、ただただ心の底から沸き上がる感情につき動かされる。
「あはっ! あはっあははっはっははははは!」
 その目はぎらぎらと光っていたこもだろう。βは自身の肉体Aにαが現れたことにふと気がついた。いつもそうだったが、それまでずっとαに支配されていた意識がβに回るようになる時、意識の支配権はαに奪われたままで観測を強いられる時、その時はまるでふいに夢から醒めたような気持ちになる。βはいつ自分の意識が失われたか知らず、αにどれだけの時間肉体Aが渡っていたかは定かではない。
 自室の窓からは清らかに晴れた空が見える。
 その明るい水色の空を見て、βは慌てて視界の端に映る時計に意識を集中させる。今日は、――今日は、日曜日。αに意識が渡ることがないよう制限と圧力をかけていた範囲内だった。何故だ。βの論理回路に電気が走った、ように思われて、ぷつんとショートしてしまった。当たり前だ。今レジーナの抱えられる思考容量の半分以上をαに乗っ取られているのだから、ただでさえ重いβの論理構築を支えきれるはずがない。キャパシティ・オーバーだ。
 αが声を高くして笑う。その様子をただただ見つめ、観測する。見せ付けられ、見せ付けられ、βは何もできない。思考は勿論、感想を言う暇もなくただその光景を目に焼き付けていくのみ。
 と、そこへ、高笑いするαの目の前のドアが開き、ステラが顔を出した。αは見知らぬ誰かの襲撃により、情動の方向を変える。百八十度逆の方向へ、そのエネルギーを増大させて。
 大変な泣き声を上げてαはステラに向かっていく。ステラは驚愕に立ち尽くし、動かずに半開きのドアから上体を出したままだ。αの高く上げた腕が俊敏に動く――ここで、加速していくαの勢いに押され、βは完全に、αに意識を乗っ取られた。
 今考えると、どうしようもなくなったβ自らαに意識を受け渡したのかも知れない。

 黒羊は突然やってきて、私の中を目茶苦茶にして去っていった。それだけなら構わない。まだ許容することもできた。しかし、しかしそれは私の外側までも傷つけてしまった。肉体を、というわけではない。私が一人では得られない、外的な力を要するもの。外的なものがなければ成り立たないもの。すなわちそれは人間関係。敬愛する他者との関係性。
 結果猛るαがステラに何をしたか、その詳細を私は知らない。知っているのはαとステラ、当事者二人だけで、ステラは「誰にも言わない」とだけ次に会った時に言っていたから、きっと一生その二人しか知らないことなのだと思う。αは言い触らすなんて知恵を持たないだろうし、興味もないだろう。そして相談事を持ちかける親密な友達も。
 今もαの解析は続いている。ここに記したことは、全て私の判断ミスが原因だった。αに条件を過剰与えすぎた。しかし、もう二の足は踏まない。失うものなどもうないから、怯まず全力でかかっていく。
 余計なこととは思うが一言付け加えておくと、その後ステラとの関係は少し変化した。関係性の名前は以前と微塵も変わっていないが、ただ今は、少し余所余所しく、他人行儀で、ほんの少し歪で危うい。

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